大江千里 コロナ禍で決意、NYでゼロからの再出発
1980年代後半から90年代にかけて『格好悪いふられ方』『Rain』『十人十色』などのヒット曲を連発。俳優や司会者としても活躍していた大江さんは、47歳で全活動をストップしてジャズの名門大学に留学しました。以降、米国を拠点にジャズピアニストとして活躍する大江さんを襲った新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)。大江さんは、ニューヨークの街で何を考え、どう行動したのでしょうか。
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ワクチン接種でまさかのアナフィラキシーショック
―― 大江さんの最新刊『マンハッタンに陽はまた昇る~60歳から始まる青春グラフィティ』(KADOKAWA)の最後の項「ニューヨークの夜明け。ワクチン接種始まる」で、ニューヨークでワクチン接種が始まった初日に1本目を打ち、「もう少しで2本目を打つ日がやってくる。僕はもう昨日までの僕ではない」と書かれた後、「P.S.」として、2本目のワクチン接種の後にアナフィラキシーショックを起こした、とあってのけぞりました。
大江千里さん(以下、敬称略) ははは、ホラー映画『キャリー』のラストみたいでしょ、ギャーッて(笑)。2度目の接種をした日の夜になってから、心臓をわしづかみにされるような痛みが走って、あ、これはやばい、どれくらいやばいのか分からないけど、かなりやばい……と思ううちに黒目が動かない感覚になり、ばたんと気を失ったんです。良かったのは気を失ったおかげで深く眠れたこと。
朝、無理やりに起きて水を飲んで。再び眠って起きたら37度6分。おかゆを作って食べて、よみがえりました。ワクチンの副反応もいろんなケースがあるようです。でも、科学の力を証明する先陣を切ろうという船に乗ったことは後悔していないし、僕が乗っているこの船はこの先どこに行くのか予測もつかないんですけど、「これから世界は良い方向へ変わっていく」と感じています。ふらふらしてお皿を3枚割ってしまったけど、でもとりあえず元気。僕はこれから名作を作るかもしれない体と心を得ているんだ、なんていう不思議な、静かな気持ちで今日も音楽を作っています。
―― 日経xwoman ARIAでインタビューをしたのが2020年の1月でした。取材の後、大江さんは予定されていた日本ツアーを中断してニューヨークに戻り、世界中がパンデミックとなっても、変わることなくニューヨークで暮らし続けていたんですよね。
パンデミックの日々…自分のかたくなさが取れた
大江 そうです。ジャズを学ぶためにニューヨークに飛び込んだのが2008年、47歳のとき。52歳で自分のレコード会社を立ち上げて、ライブができる場所を一つひとつ開拓してきましたが、パンデミックでそれまで築いてきたものがいったん無くなり、振り出しに戻ったかのような感覚がありました。ステイホームが続いていた2020年春先の朝、窓のシェードを上げようかどうしようか一瞬迷う。家の中に1日中こもっているのなら、外の景色なんて必要ないのではないか、それでも始まりの儀式をやっておこうとシェードを上げて、書き割り(編集部注:舞台の背景画)のように見えるロックダウンのニューヨークを目にしていましたね。
―― 心が沈み込みそうになるときはありましたか?
大江 朝、年を取ってきた愛犬のぴーすが僕の作ったごはんを食べてくれて、いいうんちが出て、おしっこも出て。まずそのことに感謝の気持ちで1日を始める。続けてデイリールーティンのピアノの練習をすることによって自信回復。自分がちょっといい人間になったような気がして、新曲のいいフレーズが浮かんで、でも頓挫して。でもその気持ちをあまり引っ張らずにクッキングへ。冷蔵庫に残っているものを集めてカレーなんか作っちゃおうかな、と。花なんか飾ったこともなかったのに部屋にバラの花を飾ったりして、「逆らわずに忠実にすべてを受け入れて、やってみよう」と思うようになったときに、ああ、僕はパンデミック前よりもかたくなさが取れてきたのかな、と思いました。
マイナスだらけでもタフになった60歳の自分
大江 もちろん当初は絶望や喪失感に直面しました。でも、考えてみたら僕は47歳のときにそれまで持っていたものを捨てて米国に渡ってきた。なんだ、またゼロに戻るときが来たんだ、と思ったんです。14年前と比べたら、60歳の今は眉毛も抜けてメガネの度数も合わなくて、そう考えるとマイナスだらけなんですけど、あのときよりも実はずいぶんタフになってる。だから、できるぞ、やってやろうじゃん! って、闇雲に信じる自分もいたんですよね。
―― 大江さんの住むブルックリンはどんな様子だったのでしょうか。
大江 ニューヨークって、振れ幅が大きいんですよ。感染率も人生も3歩進んで2歩下がる、その振れ幅を行ったり来たりしている感じです。電車に乗ると、クスリか何かで意識がトンでる人が転げ回っていて、一方では物乞いをする人が「Give me change」って言って回ってる。そうしたら床で転げ回っている人が物乞いをする人に「お金をあげるよ」って渡して、誰もそれに対して突っ込まず淡々と見過ごして受け入れている。そんな光景に胸がぎゅっと痛むけれど、数日して天気が良くなるとそれだけでニューヨークらしさみたいな空気を感じて「よし、この世界に自分も組み込まれて、エネルギーを吸い上げて音楽を作るぞ」という気持ちが湧いてきたりする。
タクシー運転手と口ずさんだ歌、「一人じゃないぞ」と思う
大江 僕が住んでいるブルックリンって、東京でいうと上野や浅草みたいな下町の雰囲気があるんです。友達の家に行くのにUber(ウーバー)に乗ったら、運転手がカルチャー・クラブの『カーマは気まぐれ』を歌ってる。僕も一緒にマスクしながら「Karma,Karma,Karma,Karma」って歌って、「大丈夫なの?」「大丈夫じゃないけど、とりあえず今日をやってるよぉ」って、そんななんでもない会話をすると、それだけでじーんとして、「一人じゃないぞ」と思ったりしています。
一時は「殺菌消毒ハイ」状態になるほどコロナ対策をして、外で咳(せき)をする人とすれ違うだけで「感染したんじゃないか」と思ったことも。でも今は、しっかりと感染対策していれば多少混んでいるバスでも大丈夫、と思えるようになった。命さえあればゼロからやり直せる。コロナと共に生き延びてきた実感みたいなものが備わってきたんでしょうね。
ジャズピアニスト。1960年生まれ。関西学院大学在学中に『ワラビーぬぎすてて』でデビュー。『格好悪いふられ方』『Rain』などヒット曲多数。2008年に渡米。The New School for Jazz and Contemporary Musicに入学し、ジャズを学ぶ。2012年、卒業と同時に自身が設立したPND Records & Music Publishingからアルバム『Boys Mature Slow』『Hmmm』などをリリース。現在は、ブルックリン在住。最新刊『マンハッタンに陽はまた昇る~60歳から始まる青春グラフィティ』(KADOKAWA)。1993年から1999年にかけてリリースされた音源を収録したCD-BOX「Senri Premium 3 ~MY GLORY DAYS 1993-1999」の予約を受付中(2021年5月18日まで)。公式サイトsenri garden(note)。
(取材・文 柳本操、構成 市川礼子=日経xwoman ARIA、写真 洞澤佐智子)
[日経xwoman 2021年4月1日付の掲載記事を基に再構成]
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