当時、母親は子どもの授乳やおむつ替えのことを考え、いつも公園や公民館などに集まっていました。でも子どもがいるから行動を制限するのは正しくないし、なにより私自身が子育てを理由に我慢をしたり諦めたりしたくない。いい答えはないのかと考えました。今ならネットで署名活動をするとか鉄道会社に働きかけるなどできたのかもしれませんが、当時はそんな手段もありません。誰かにお願いするより自分が変わった方がいい。つまり自分が子連れで自由に出歩けるようにするため、公共の場でも気にせず授乳できる服を作ることにしたのです。最近話題の「フェムテック(女性特有の悩みを技術で解決する商品やサービス)」の走りだったと今では言われます。1997年は次女が7月に生まれ、1カ月後の8月には中央線事件があり、10月に授乳服を創り出したのですから、振り返るとすごいスピードです。授乳服をいくらくらいで販売するか。母親が買える価格の目安として粉ミルク1カ月分、つまり1着1万円程度に設定しました。

授乳服で「どこにでも行ける、何でもできる!」

1990年代当時、茨城にはまだ縫製工場がいくつもあり、そこで働いた経験のある女性たちが結婚・出産して家で子育てしていました。同じお金を払うなら工場より母親に直接払いたいと、自宅でできる仕事として縫ってくれる人を募集しました。するとたくさんの連絡があり、しかも同じ母親ということでとても丁寧に縫ってくれるのです。まだビジネスという意識は低く、文化祭のような感覚でした。新しいライフスタイルを提案するのだとみんなで盛り上がりました。私自身は助産院を訪ねて商品を紹介したり、子どもと公園に出向いてお母さんたちに商品を紹介したりしました。でも売れない。赤ちゃんに配慮してボタンやファスナーをなくし肌触りの良いものにしたのに、手にも取ってくれないのです。助産師さんにもやめた方がいいと言われました。母親は出産したら子どもに一生懸命。とても自分の授乳服には関心が向きません。せめてマタニティー服を作るよう勧められましたが、それは私の思いとは違います。

赤ちゃんに配慮し、ボタンやファスナーをなくし肌触りの良い授乳服に

その頃の日本には、授乳服がほとんどありませんでした。試しに海外通販で取り寄せたところ、子どもが隣にいるにもかかわらず着るだけで驚くような自信と解放感が得られました。「どこにでも行けるし、何でもできる!」。私は岡山県から東京の大学に進学しましたが、あのときと同じような解放感です。こういう子育てのライフスタイルをどうしても同じ母親たちに伝えたいと思いました。地元では見向きもされないので、子育て関連のミニコミ誌や育児雑誌、フリーマーケット(フリマ)雑誌などになりふり構わず手紙を書き、商品を紹介してほしいと訴えました。カタログを作るお金などありません。自宅に来たママ友に着てもらって写真を撮り、それに布見本を付けるという手作り感満載で手紙を送りました。最初の売り上げは数万円でしたが、通信社に記事として取り上げられたことで全国的に知られるようになり、3年くらいで売り上げが1000万円に達しました。

自宅の隣にあった物件を月5000円で借りて事務所にし、2002年に法人化、いよいよモーハウス事業に専念します。とはいえ私にとっては常に子どもと一緒にいることが最優先。01年に3人目となる長男を妊娠した際は岡山の実家に一時的に里帰りし、その間、仕事はスタッフに任せました。05年には東京の青山通り沿いに出店し、07年につくば市内にあった西武筑波店(当時)にも店を出しました。創業当初から私は子連れで働いていたのでスタッフも皆、子連れが当たり前です。でも当時は「百貨店として初めての子連れ出勤」と話題になりました。

自宅でサロンを開くなどして母親たちの話を聞いた(本人提供)

普通の会社なら出産すると仕事を休みますが、モーハウスは出産すると子連れで働き始めます。母親は赤ちゃんの体調次第で仕事を休むこともあるのでシフト調整は大変。でも「子供がいるから働けない」「保育所に入るまでは仕事ができない」といった状況から一歩踏み出した働き方を提案できたと思っています。これまで延べ300人以上と一緒に仕事をしてきました。出産しても働けることで、女性が自分に自信を持ってくれたらうれしいと思い、見学会やインターンシップ、視察なども受け入れています。

子どもへの「ごめんなさい」、なくした働き方に

育児と仕事のバランスは人さまざま。私にとっては子どもと一緒にいて、それぞれが好きに過ごすという形がベストでした。だから一緒にいるといっても遊んだり抱っこしたりしていたわけではありません。子どもが小学生の時は宿題をする隣で仕事をしていました。息子はじっとしていられないので、何か「仕事」をさせるようにしました。たとえば、仕事場にあるコピー用紙30箱を隣の部屋に運ばせるとか。お手伝いがあると喜んでやってくれます。

子どもは母親が仕事をしていても、そばにいるだけで安心するはず。母親も子どもがそばにいることで安心して仕事ができます。私自身も両親が食器店を営んでいたので共働き家庭に育ちましたが、親がどこで何をしているのか分かっていたので寂しいとは感じませんでした。

私が子どもに罪悪感を抱くとすれば、それは幼稚園などのお迎えに遅れるとき。一緒にいればそうした罪悪感を抱かずに済むわけです。子どもへの「ごめんなさい」をなくしてきた結果がモーハウスという働き方でした。私は仕事に一生懸命でしたが、子どもに対して申し訳ないと思ったことは1度もありません。

子どもにとって仕事は敵ではありません。長男は幼い頃、休みの日に外出すると地下鉄でひっくり返って泣き出すなどしましたが、職場ではそういうことはありませんでした。

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