「ミライロIDの登録者は数万人規模に拡大しました。これまで交通機関を利用する際に『すいません、手帳があるのですが』と断る障害者の方は少なくなかった。しかし、スマホなら気楽に出せますし、事業者側も確認の負担が軽減されます。今後1~2年でより多くの方にミライロIDのことを認知して活用してもらえば、社会インフラのような役割を果たすと考えています」

「自分が本当に伝えたいことを信じ続け、社員全員を巻き込んでアプリの開発や、導入企業の拡大にまい進しました。実はこのアプリのプログラムを書いた開発者の一人は私の弟です。同じ病で症状が悪化したことから、一時はミライロの業務から離れて療養していましたが、プログラミングを身につけて復帰しました。当事者の視点で作ったアプリなので、障害のある方からも期待の声をいただいています」

――そもそもなぜミライロを起業したのですか。

「私は17歳の時に高校を中退しました。歩けるようになりたいと手術を受け、必死でリハビリしましたが、結局ダメだった。死にたいと思ったが、病院の屋上の柵も自分の力では越えられなかった。障害のある自分を受け入れられず、自己否定するようになりました。その時、同じ病室の年配の方に『登り切った先の景色を見たのか』と問われ、『今はつらいだろうけど、縮んだものはいつか伸びる』と励まされました。稚拙ですが、何か大きなことをやるしかないと思ったのです。それでぼんやりと起業を考えました」

垣内氏(前列左)は大学時代に起業パートナーの民野氏(同右)と出会った

――大学時代に起業しましたが、何をやろうと考えたのですか。

「最初は義肢装具や車いすなどの福祉機器を作ろうと思いました。それで高等学校卒業程度認定試験(旧大検)を受け、福祉系の大学に進学しようとしました。しかし、合格した大学の実習室を見に行くと、脚の不自由な私では作り手を担うのは難しいことが分かり、急きょ経営を学ぼうと立命館大学経営学部の後期試験を受験しました」

「実は立命館を受ける2週間前に車いすがひっくり返って骨折しました。もう無理だろうと諦めかけましたが、病院から車で搬送してもらい受験しました。高校を中退し、偏差値30台から受験勉強を開始したので、合格したのは奇跡です。地元の岐阜から引っ越し、入学して生活の糧を得るため、ウェブ制作会社でアルバイトを始めました。実はそこで自身の価値観を変える言葉を授かります」

「歩けないことに胸を張れ」

「オフィス内の業務をやるつもりだったのですが、その会社の社長はあえて営業をやりなさいと命じました。外回りですから、段差も多く、バリアフリーではないところも少なくありません。自分にできるだろうかと不安だったのですが、必死になって車いすに乗り、営業に回りました。すると、お客さんにどんどん顔を覚えてもらえ、営業成績がトップになりました。社長は『歩けないことに胸を張れ。その障害は君の強み。誇りを持て』と言ってくれました。障害があるからこそ逆にできることがある、バリア(障害)をバリュー(価値)に変えられることに気づけました」

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