有森裕子 コロナ下の部活動、「中止の基準」を明確に
例年より早く桜が咲き誇る中、3月25日に福島県で東京五輪の聖火リレーがスタートしました。新型コロナウイルスの感染拡大が収まらない中での聖火リレーの決行や東京五輪の開催には賛否の声がありますが、くれぐれも密集状態にならないよう注意していただき、無事に聖火リレーが遂行されることを願っています。
コロナ禍で子どもの「体力低下」や「運動嫌い」に拍車の恐れ
1年前の今ごろは、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて初めての緊急事態宣言が出され、全国の学校が一斉休校となりました。現在、学校は再開していますが、部活動の自粛や活動時間の短縮、試合の中止、運動会や体育祭の簡略化など、何かしらの制限を伴う状況が続いているようです。
そこで心配されるのは、子どもの運動不足や体力低下です。日本の子どもの体力低下は、コロナが流行する前から問題視されていました。例えば、2020年10月にスポーツ庁が発表した「令和元年度体力・運動能力調査」[注1]の結果によると、東京五輪が開催された当時(1964年度)と比較して、2019年度の青少年期の体格(身長・体重)は大きく向上したものの、15歳以降の体力(筋力)は当時の記録を下回ったそうです。
また、同じくスポーツ庁の「平成29年度全国体力・運動能力、運動習慣等調査」によると、小学5年生と中学2年生への「運動やスポーツをすることは好きですか」という質問に対し、小学5年生の9.6%、中学2年生の16.3%が「嫌い・やや嫌い」と答えています。中学2年生の女子に限っては、21.5%が嫌いという結果でした。体育・保健体育の授業以外で1週間の運動時間が60分未満にとどまる女子の割合は、小学5年生が11.6%、中学2年生が19.4%だったそうです。
このような傾向に追い打ちをかけるように、コロナがまん延して運動の機会が減っている今、子どもたちのさらなる体力低下が懸念されます。また、中学校に入学してせっかく部活に入っても、練習や試合の機会があまりなければ、面白くなくなって部活を辞めてしまったり、スポーツ嫌いになってしまったりする子どもが増えるかもしれません。長年スポーツに携わってきた者としては、こうした状況はとても寂しく、何とかしたいという気持ちがあります。
[注1]1964年以来、国民の体力・運動能力の現状を明らかにするため毎年実施。対象は小学生、中学生、高校生、高等専門学校・短大・大学の学生、成年、高齢者。令和元年度の調査期間は2019年5~10月(小中高生は7月まで)。
実施の条件よりも「中止の基準」を明確にしてほしい
私自身も、小学生を対象とした「キッズ・スポーツ体験キャンプ」という宿泊型のスポーツキャンプに14年間かかわってきました。しかし、コロナのため昨年は中止に。現段階では再開は不可能ではないとは思いますが、具体的にどのような手法や対策を取れば、子どもたちが安心・安全にスポーツキャンプを体験できるのか、その答えをまだ見いだせていません。
部活動や試合などを継続・開催するにしても、責任を負う学校としては、さまざまな制限を設けざるを得ない状況であることはよく分かります。外出自粛要請が解かれた首都圏の学校でも、どのように部活動や体育の授業を実施していくかは頭を悩ませている課題でしょう。とはいえ、それは大人の都合であり、「春の選抜高校野球大会はやっているのに、なぜ私たちの試合は実施されないの?」という疑問を抱いたり、活動を制限される理由を納得できない子どもたちもいるかもしれません。
部活動やスポーツイベントをベストな状態で実施するためには、行政などが「中止にする基準」をもっと明確にしてほしいとも思います。「実施・開催するにはどうすべきか」という視点も大事ですが、それだと不安が次から次へと出てきてしまいます。「中止にする基準」を明確にすれば、「それが中止の条件ならこういう風にしよう、ああいう風にしよう」という思考が働き、納得しながら対策を練っていけるのではないかと思うのです。
スポーツは子どもたちに、さまざまな良い影響を与えます。最大のメリットは、体の成長を促し、健康な体をつくるということでしょう。ただ、本当の意味でのスポーツの良さは別のところにもあります。例えば、「相手と競い、勝ち負けを経験することで、努力の大切さや相手を尊重する姿勢を学ぶ」「チームワークを大事にすることで、コミュニケーションの大切さを学ぶ」「ルールを守ることで、社会の規律の大切さを学ぶ」といったものです。スポーツは、子どもたちが社会で生きていくための大きな力を育むものだと信じています。
「感じる力」は社会を変えるエネルギーになる
少し話がそれますが、先日、「ねむの木学園」という日本初の肢体不自由児養護施設を設立・運営した女優・宮城まり子さんのドキュメンタリー番組の再放送[注2]を見ました。
2020年3月に93歳で亡くなられた宮城さんは、障害がある子どもたちに自由に絵を描かせていました。描かせるようになったきっかけは、ある1人の障害のある男の子の絵を見たことだったそうです。「カニの絵を描く」というテーマの授業で、その男の子は甲羅のみのカニを描きました。すると、採点した先生は「カニとはこういうものですよ」と脚を描いて返したそうです。すると男の子は、「これは自分が描いたカニじゃない」と言って、自分の絵に×印を描いてしまいました。
×が付いた絵を見た宮城さんは、とても悲しい気持ちになったと言います。脚のないカニは男の子の感性から描いたもの。世間の常識を押しつけるだけの教育は、障害がある人を否定することになりかねず、孤立へとどんどん追い詰めていくのではないかという疑問も持たれたそうです。「ダメな子なんか1人もいない」という信念の下で運営されてきた「ねむの木学園」では、それぞれが描きたいと思った絵を自由に描かせることにしたといいます。
[注2]NHK「歓びの絵 ねむの木学園 48年の軌跡」
番組では、開催された美術展の映像も流れました。展示された子どもたちの絵画が本当に素晴らしく、私は改めて「感じる」ことの大切さを再認識しました。人間は五感を使って生きています。その五感をいかに刺激し育むかで、喜びや生きる力といったさまざまな可能性を引き出すことができます。
そうした「感じる力」は、美術だけでなく、音楽やスポーツにも当てはまります。特にスポーツは、競技を体感し、また応援し、応援されることで、喜びや悔しさなどいろいろな感情を一気に生み出せる機会になります。
私自身、競技スポーツを続けてきたことで得た「感じる力」が、どれだけ自分の人生を豊かにし、人間形成に大切なものだったのかを実感しています。そんな力があるスポーツが大好きで、だからスポーツをする人や現場を応援したいし、大切さを伝え続けていきたいのです。スポーツを通して「感じる」機会を、ジェンダーやジェネレーション、障害の有無を超えて作り出すことができれば、それぞれの素晴らしい可能性やエネルギーを引き出し、みんなが生きやすくなる社会へ変える力になると信じています。私が長年携わってきた、知的障害がある人がスポーツを通じて相互理解と交流を図る「スペシャルオリンピックス」の活動も、そうした考えが根底にあります。
人間の五感を刺激するスポーツをする機会が、コロナによって少なくなっていることは心が痛みます。先ほどお話しした子どもたちの部活動についても、私たちオリンピアンやアスリートなどの力を集め、教育現場と一丸になって、今までと同じ形ではなくても何かできればという気持ちがあります。スポーツの現場を作る努力を、今まで以上にしていかなければいけないという危機感があります。子どもたちから「運動習慣」や「感じる機会」を奪わず、子どもたちの「スポーツ嫌い」を防ぐためにも。
(まとめ 高島三幸=ライター)
[日経Gooday2021年4月13日付記事を再構成]
元マラソンランナー(五輪メダリスト)。1966年岡山県生まれ。バルセロナ五輪(1992年)の女子マラソンで銀メダルを、アトランタ五輪(96年)でも銅メダルを獲得。2大会連続のメダル獲得という重圧や故障に打ち勝ち、レース後に残した「自分で自分をほめたい」という言葉は、その年の流行語大賞となった。市民マラソン「東京マラソン2007」でプロマラソンランナーを引退。2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞した。
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