日経ナショナル ジオグラフィック社

2021/5/2

とはいえ、高い知能には明らかに利点がある。クジラやイルカの学習能力の高さは、早くから私たちを魅了してきた。シャチやベルーガ(シロイルカ)、ハンドウイルカは何十年も前から海洋テーマパークに送り込まれ、巨大プールで歌やジャンプを披露して拍手喝采を浴びてきた。だが飼育下で調教し、曲芸をさせたところで、彼らの能力の上っ面を引っかいた程度にすぎない。

1972年にハンドウイルカの研究者が、「ドリー」と名づけた幼いイルカが泳いでいる水槽の前で、休憩時間にたばこの煙を吐き出した。するとドリーは「驚いたことにすぐに母イルカのところに泳いでいき、戻ってくると、口いっぱいに含んだ母乳をたばこの煙そっくりに頭上に噴き出してみせた」と当時の記録は伝えている。

社会的動物では、後天的に得た知恵が多くの仲間に広く伝えられる。クジラ類では、文化に対応するために、知能が進化したように見えるケースもある。文化が生まれるためには、ある個体が新しい方法を見つけ、その方法が仲間に共有されなければならない。

1980年には北米東部の大西洋に臨むメーン湾で、1頭のザトウクジラが新しい方法で狩りをする様子が観察された。ザトウクジラはイカナゴの群れの周りに気泡を噴き出し、魚たちを混乱させて一網打尽にするが、このクジラは泡を出す前に、尾びれで海面をたたいていた。この海面たたきは新趣向だ。何の役に立つかは不明だが、2013年までにこのやり方をまねるクジラが少なくとも278頭確認されている。

長年、人間以外の動物には、新しい行動を広範囲に代々伝えていく能力がないと思われていた。そんな見方を変えるきっかけとなったのは、ニホンザルの行動だ。1953年、宮崎県南部の幸島で、若いニホンザルが餌として与えられたサツマイモを小川で洗う姿が観察された。それまでこの島の野生のサルたちはイモに付いた泥を手で拭い落とすだけだったが、程なく何十頭ものサルがイモを洗う行動を見せるようになった。

その後1999年に英国スコットランドのセントアンドルーズ大学の認知科学者アンドルー・ホワイテン氏が、ジェーン・グドールら霊長類の専門家と共同で画期的な論文を発表した。彼らは、グルーミング(毛づくろい)や木の実を石でたたいて割る、小枝でアリ塚をつついてアリを釣るといった、チンパンジーが代々受け継いでいる行動は、集団によって異なることを発見したのだ。「チンパンジーを長期間観察し、こうした行動を見ていれば、そのチンパンジーの出自がだいたいわかります」とホワイテン氏は私に話した。人々の行動様式を見れば、どの文化圏の出身者か見当がつくのと同じだ。

これには異論もある。遺伝子と環境の違いが行動の違いを生む可能性もある、というのだ。観察されたチンパンジーはいくつかの亜種に分かれていた。生息環境も西アフリカのギニア沿岸部から、4500キロも離れた内陸部のウガンダまで多岐にわたり、生息環境の違いが行動の違いを生むという見方もある。

そうした批判を受けながらも、人間中心の見方にとらわれず、野生生物の行動と集団の文化を探る新しい研究手法は確立されていった。

(文 クレイグ・ウェルチ、写真 ブライアン・スケリー、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 2021年5月号の記事を再構成]

[参考]ここでダイジェストで紹介た記事「私たちが知らないクジラの世界」は、ナショナル ジオグラフィック日本版2021年5月号の特集の一つです。5月号は、違った視点で見られる海の地図、28日間の潜水調査、サンゴ礁の未来など、海を大きく取り上げてお届けします。Twitter/Instagram @natgeomagjp

ナショナル ジオグラフィック日本版 2021年5月号[雑誌]

著者 : ナショナル ジオグラフィック
出版 : 日経ナショナルジオグラフィック社
価格 : 1,210 円(税込み)