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東日本大震災から10年を迎える
故郷・福島をひたすら歩き
未曽有の厄災の意味を思索する

――福島県郡山市で生まれ育った作家の古川日出男さん。東日本大震災の発生から10年を迎えた今年3月、初となるルポルタージュ『ゼロエフ』を上梓(じょうし)しました。過酷事故を起こした通称「イチエフ」、福島第1原発がある浜通りと地元郡山がある中通り、さらに原発事故の影響が及んだ宮城県南部まで、実に360kmを歩き、被災地や日本の過去と未来について思考を深めた力作です。「福島を歩く」と決めたきっかけは、東京五輪だったそうですね。

2020年夏に開催予定だった東京オリンピック・パラリンピックは「復興五輪」と位置付けられ、当初は20年7月24日に開会式が行われる予定でした。聖火リレーは、原発事故の対応拠点となった楢葉町の「Jヴィレッジ」から出発して丸3日間、福島県内を回るというものでしたが、僕はこのプランを知った時、強い違和感を持ちました。「東京五輪なら東京でやればいいし、復興五輪なら被災地で開催すればいい」と思ったのです。

そもそも東京五輪開催が決まって以降、建設現場では人手や資材調達が逼迫し、被災地の復興や復旧の進捗に影響が出ていました。招致プレゼンでのスピーチで、時の首相が依然深刻なイチエフの状況を「アンダーコントロール」と表現したことへの違和感もありました。一方で、福島で暮らすおいっ子に「オリンピック、どう思う?」と聞くと、「楽しみ! 見に行きたい」と答える。

被災地に暮らしていても、東京五輪をどう捉え、どう感じているかは人それぞれです。だったら五輪の期間中、福島を歩いて色々な人に話を聞いてみようと思ったのです。「復興五輪」をツールとして、年代も職業も住む場所も異なる人たちに、あの震災が何をもたらしたのかに触れてみたい、と。

――コロナ禍で20年夏の東京オリンピック・パラリンピックは延期になりましたが、古川さんは計画を実行します。開会式前日に当たる7月23日から8月10日まで、福島県内を約280km。さらに11月末には阿武隈川沿いに宮城県南部へ約80km。特に真夏の被災地縦断は過酷だったのでは?

福島を歩くと決めた19年末から、インストラクターの指導の下でトレーニングを始め、熱中症対策については医師の助言をもらいました。浜通りの国道6号線と中通りの国道4号線のルートを下見し、歩行できない帰還困難区域はレンタカーを手配するなど綿密な計画を立てました。五輪は延期となりましたが、逆に、だからこそ自分はこの夏歩こうと強く思いました。

――本作では、被災地に暮らす人々が震災や原発事故、そして今の暮らしについての思いを語る様子が時には淡々と、時には深い思考を交えて描かれています。特に印象的だった出会いはありますか。

特に強く心に刻まれているのは、8月1~3日にかけて話を聞いた3人です。1人目は相馬の伝統行事「野馬追(のまおい)」を継承する佐藤信幸さん。津波や原発事故で色々なものを奪われた地元や犠牲になられた方たちのために、野馬追という文化を必死に守り続けていました。

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