『M‐1』で最下位になり世間から叩かれたとき、支えになったのは芸人仲間の励ましだったという。そこで優しさに甘えず、自分たちの笑いを突き詰めていった結果が今につながったと野田は語る。

(写真:中村嘉昭)

村上 芸人は、あそこに立つ大変さと評価されることの難しさを知ってるんで、特に負けた人に対してはみんな優しいんです。決勝戦で敗退したあと、生配信で千鳥さんが「そのままでいいんだ」というようなことを言ってくれて、めちゃくちゃ救われました。確かに千鳥さんも最下位を経験しているし、しかも2連続で、僕らよりキツかったと思うんです。同じ経験をした人が言ってくれたっていうのが1番説得力があった。

野田 その優しさに甘えちゃうこともあるんですけどね。ただ、そこだけに頼ってしまうとずっと結果が出ないことになるんで。この2人でやれることは限られているから、どうやったら伝わるのかを突き詰めていくしかないんです。

村上 あんまり動かず、しゃべくり漫才にするとかはできないんで。

野田 もしそれをやるなら、別のコンビを組むしかない。

村上 17年の『M‐1』以降、大きく変えたところはないけど、もう同じ目には遭いたくない(笑)。どんな状況でも「ここは絶対外さない」という笑いどころを作ったっていうのはあるかな。

野田 そう、安心してできる箇所を入れるようにはしました。1回地獄を味わった恐怖があるんで。予選とは違って、決勝でスベったらおしまいですから。

その後、18年には『キングオブコント』で決勝に進出。ここでようやく沈んでいた野田の気持ちにも変化が訪れたという。さらに20年には『R‐1ぐらんぷり』で、野田がピン芸人日本一の称号を手にすることに。この『R‐1』の優勝が、同じ年の『M‐1』の行方を大きく左右することになった。

村上 『キングオブコント』は7位で、印象は薄かったかもしれないですけど、検索したら「マヂカルラブリー面白かった」っていうツイートが出てきたんで、僕は単純にうれしかったです。

野田 『キングオブコント』でちょっとだけモヤモヤが解消されたというか。だから長かったですよ。半年くらいは不安なままで漫才やってましたから。『R‐1』で優勝できたことで、その後、松本(人志)さんや今田(耕司)さんと接する機会ができて、いろんな意見をもらえたんです。それで、『M‐1』の場で“よそ者”っていう疎外感を感じなくなったかなと。審査員席で(サンドウィッチマン)富澤さんが、「野田っていう人間に慣れた」って言ってましたけど、そういう部分がすごくプラスに働いたと思います。『R‐1』で優勝していなかったら『M‐1』はさすがに優勝できていなかった気がします。

村上 もっと時間かかったかもしれないよね。

次回は、『M-1』決勝直前の気持ち、優勝の要因などについて聞く。

(ライター 遠藤敏文)

[日経エンタテインメント! 2021年3月号の記事を再構成]

エンタメ!連載記事一覧