早稲田工房の壁面に並ぶ保存容器入りのコーヒー豆。「焙煎体験に来るまで、豆の色が元から黒いと思っている人もいる」と前田さん

コーヒーの「楽しさを伝える」ことに重きを置き、お客視点の「おいしい」を見つけるのが珈琲やのコンセプト。おのずと重要になるのが、お客との密なコミュニケーションだ。

「多少面倒でも、お客さんには150種類の豆の中から一つを選んでもらう。そして話し合いながら、お好みの焙煎を探っていく。効率は悪いですよ。でも新型コロナで環境が激変した今だからこそ、こんな部分が大事なんだと思うようになりました。お客さんが探して、選ぶ余地を残しておくほうが、お客さんも楽しめる。最終的に味を決めるのはお客さん。それを一緒に作りましょう、と」

そんな運営スタイルを、前田さんは「お客さんが遊べる店」と表現する。焙煎体験は“遊び”の一環だ。自分で焼いたばかりの豆を、その場で味わえるのは確かに楽しい。

コーヒーは焼きたてが決して最高の味ではない、とも言われる。焙煎から数日後のほうが炭酸ガスが適度に抜け、抽出時に香りと味を引き出しやすくなるからだ。もちろん、そんなことは承知のうえである。

「どう飲むかはお客さん次第。焙煎直後から日々変化していく味を楽しむのもいい。コーヒーは嗜好品なんですから。そもそもエチオピアには目の前で焼いたコーヒーでゲストをもてなす『コーヒーセレモニー』という文化があります。これこそがコーヒー文化の原点。珈琲やで追求したいのは、コーヒーの原点回帰なんです」

珈琲やが扱う豆の一覧表。産地名や精製方法などが表記されている。近く200種類まで増やす予定だ

戦後のコーヒー文化の普及には、近年のサードウエーブに至るまで3つの「波(WAVE)」が数えられる。早稲田工房の開店にあわせて珈琲やが標榜したのが「WAVE ZERO COFFEE」だ。これは単なる言葉遊びではない。もともと台湾の消費者を意識して考案した英文のキーワードだが、このZEROは「原点」を意味する。原点である焙煎は職人のサンクチュアリ(聖域)ではない。誰でも気軽に体験できる「楽しみ」の一つなのだ、と。そして今、消費市場で「体験価値」は顧客創造の重要なキーワードとなっている。

前田さんが無料で焙煎体験を始めると決めた時は「さすがにスタッフも驚いた」と代表焙煎士の永井ちとせさん。だが同様のサービスを始める店も最近、ちらほら出始めている。今後は台湾も含め珈琲やのほかの店にも導入していく予定だ。

コンサルタント出身らしく、前田さんは「開業希望者や同業者に珈琲やのノウハウをどんどん提供し、仲間を増やしていきたい」と話す。これまでに米国や英国など海外からも協業の声がかかっているという。

「ウチのやり方に共感してくれるところなら、別に珈琲やの名前を店に出さなくてもいいし、ウチの豆を買わなくてもいい。ノウハウを提供して仲間が増えれば、生豆と焙煎に興味を持つお客さんが増える。そうやって消費者が変われば、ゆくゆくは業界にも何か変化が生まれるかもしれません」

(名出晃)

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