学年ビリ、一時不登校で筑波大付属に 作家・竹内薫氏サイエンス作家・竹内薫氏(上)

サイエンス作家 竹内薫氏
サイエンス作家 竹内薫氏

サイエンス作家の竹内薫氏(60)。「YESインターナショナルスクール」というフリースクールの校長として、未来の人材の育成も始めている。竹内氏は国立の名門進学校、筑波大学付属高校(入学時は東京教育大学付属高校、東京・文京)の出身。東京大学文科1類に合格したが、法学部には進まず、教養学部と理学部をそれぞれ卒業した。竹内氏は名門校でどんな体験をし、何を学んだのか。

東京・杉並の公立中学に通っていた。

中1の頃の成績はほぼ学年ビリでした。日本語の読解能力が他の生徒より劣っていたからです。父は東芝の社員。小学校3年生から約2年、父の転勤で米ニューヨークに暮らし、現地校に通いました。日本に戻って、公立の小学校に転校しましたが、漢字を十分に習得できていないので授業についていけない。一時は不登校に陥りました。

ただ、小学校の担任が面白い理科の実験などをやってくれる魅力的な先生だったので、学校生活にも次第になじむようになりました。徐々に漢字を覚え、米国時代のブランクをその滞在期間と同じ2年で取り戻しました。中学2年のとき、肺炎で約1カ月間欠席しました。しかし、直後の定期試験でいきなり成績トップになりました。この間、独学で自習しました。そのとき、私は教師の話を聞いて理解するより、自分のペースで知識を得ていくタイプなのだと気づきました。探究型の学習法に気づくと面白いほど成績は伸びました。

高校受験でも進学塾には通わず、独学を通した。開成高校と筑波大付属高校に合格した。

開成はバンカラな男子の進学校として知られていました。一方で、筑波大付属は男女共学で探究型の教育を志向しており、自分には向いていると思いました。先生たちも紳士的で研究者タイプの方が多かった。中学時代には生徒を「お前」と上から目線で呼ぶ教師が大半でしたが、この高校の教師は必ず「くん」「さん」付けで生徒のことも一人の人間として尊重していました。

ブックコーナー ビジネス書などの書評はこちら