2021/4/17

フォール氏がミールに到着してから1カ月後、静けさは突然、破られることになる。

何年も前から、ミールは、「プログレス」と呼ばれる無人の補給船に物資を運ばせていた。危険を伴うドッキング作業は、常にウクライナ政府が所有する技術を用いて行われていた。しかし、資金繰りに困っていたロシアは、ウクライナにお金を払いたくないため、試しに手動でのドッキングを行ってみることにした。遠隔測定は行わず、宇宙飛行士のヴァシリー・チブリエフ氏がビデオ画面をにらみながら、数本のジョイスティックを操作するだけだ。

ドッキング試験の最中、フォール氏は自分の居住区画兼科学実験室として使っていたミールのノードの一つ「スペクトル」の窓に配置された。彼の使命は、接近してくるプログレスの速度を、レーザー距離計を使って測定することだった。

フォール氏はわたしに、次に何が起こったかを撮影した動画を見せてくれた。わたしでさえ、プログレスがミールに予定よりも速いスピードで接近してくるのがわかる。

突然、映像が揺れた。プログレスが太陽電池アレイを引き裂いて、スペクトルに衝突したのだ。気圧が危険なほど低下していることを知らせるサイレンが鳴り響く。規則通りに、フォール氏はソユーズカプセルに入り、地球に向かって脱出するためにほかのクルーを待った。

ロシア人クルーの2人が現れないため、フォール氏は危険を承知でミール内に戻った。すると、宇宙飛行士のアレクサンドル・ラズトキン氏が、絡み合った電源コードを外して、損傷したスペクトルを密閉して空気の漏れを止めようと奮闘していた。しかしそのケーブルは、ミールにもとからあった効率の悪い太陽電池を補うために設置されたスペクトルの太陽電池アレイから電気を運んでいるものだった。ケーブルを1本切断するたびに、文字通りミールの生命線が切断されていく。

ついに最後のケーブルが外された。貴重な空気がこれ以上スペクトルへと流れ出さないようにするには、もう一つ必要な作業があった。スペクトルへの通路を、専用のカバーで塞ぐのだ。

「しかし、まずはそのカバーを探さなければなりませんでした」とフォール氏は言う。「カバーはもう何年も前に、紐でしばってどこかに仕舞い込んであったからです。ようやくカバーを見つけて取り付けると、吸い込まれる力で所定の位置に収まりました」

空気漏れが止まったのは、酸素の残りがあと7分間分になったときだった。

1997年、補給船がミールに衝突して穴を開け、電力の約半分を供給する太陽電池アレイが破損した。ミールに搭乗していたクルーは、数分後には空気がなくなるというところまで追い詰められた。(PHOTOGRAPH BY NASA)

そして、照明が消えた。

「スペクトルの太陽電池パネルとは切り離され、残りのパネルは太陽光があまりあたらない位置に回転していました」とフォール氏は言う。船上の不気味な静寂に、フォール氏は衝撃を受けた。ずっと聞こえていたミールの換気扇の音さえ消え去っていた。

電気を失ったことでジャイロスコープが停止し、ミールは制御不能に陥った。この現象は、太陽電池パネルの向きが変わって、太陽光を受けられなくなるたびに起こるもので、それまでにも何度も発生したことがあった。しかし今回は、最も効率の良い太陽電池パネルが故障していたため、ミールを安定させて古いパネルの位置を調整しない限り、ジャイロは再起動してくれない。

ミールは3分に1回、回転している。そこでフォール氏は、ソユーズのエンジンを短く数回噴射して回転を遅らせることを提案した。数度失敗はしたが、なんとかミールを安定した状態に保つことができた。こうして古く効率の悪い太陽電池パネルが、一定時間ごとに作動するようになった。24時間後、ミールがロシア上空を通過する際、モスクワの管制官はようやくミールに新しい命令を送り、機体を安定させることに成功する。

それから1年半の間に、フォール氏に続いて2人の米国人宇宙飛行士がミールに滞在し、その間、米国とロシアはISSの建設を進めた。ロシアはミールを新たな宇宙ステーションの中核とすることを強く主張していたが、最終的にはこれを断念した。

こうして1998年11月20日、ISSの最初のコンポーネントとなる、ミールとよく似たロシア製のセントラルノードが、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。

ところで、米国はどうして老朽化して危険性が年々増すミールを支え続けたのだろうか。

「わたしはクリントン大統領に尋ねてみました」とフォール氏は言う。「『米国がミールを助けたのは、ロシアクルーがイランや北朝鮮のために仕事をすることを妨げるためだったからです』と言いました。大統領はしばらく間をおいてから、『あくまで理由の一つですけれどね』と言いました」

ガセインズ氏によると、もう一つの大きな理由があった。それは、ロシアはISSにおける対等なパートナーであるという建前を保つことだったという。

「今から50年後、人々がISSの大成功を振り返ったとき、このプロジェクトに関わったNASAの人々はヒーローになるでしょう」と、ガセインズ氏は続けて話す。「何しろ、1人も犠牲にならなかったのですから」

2001年、ミールは炎に包まれて宇宙の旅を終えた。新たな所有者・運営者探しが幾度も頓挫し、ロシアは不可避の事態を受け入れた。こうして2001年3月23日、ミールのすべては燃え上がるかけらとなって地球に帰ってきた。それでも、ミールの遺産はこれからも生き続ける。

「ISSはミールと大きく違うわけではありません」。ミールとISS、両方の宇宙ステーションに搭乗した唯一の人物であるフォール氏はそう語る。

「ロシアの宇宙計画の進め方を批判することはいくらでもできます。しかし、ロシア人はこう言うでしょう。『米国は15年前にスペースシャトルを失っただろう。こっちはその間、ずっとISSを動かしてるよ』と。それに異論を唱えることはできません」

(文 BILL NEWCOTT、訳 北村京子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2021年3月25日付]

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