日経ナショナル ジオグラフィック社

メートル氏の訪問の直後、タリバンがカブールを制圧し、アフガニスタン・イスラム首長国を樹立した。当初、タリバンはバーミヤンの有名な大仏を尊重しており、ある司令官が大仏を撃った後、アフガニスタンの文化遺産を守る命令まで出した。しかしその後、彼らの政権に対する国際的な承認が広がらないことや米国の制裁強化におそらく不満を感じ、リーダーたちは考えを変える。

バーミヤン渓谷の大仏は、一帯がシルクロードの中継地としてにぎわっていた6世紀に建造が始まった(PHOTPGRAPH BY PASCAL MAITRE)

 2001年3月、タリバンは大仏の足元に爆弾を仕掛けた。1500年の歴史を持つ大仏は数週間でがれきの山と化した。それからちょうど20年。タリバンが政権を掌握する直前に撮影した写真は、そびえ立つ大仏の最後の記録の一つではないかとメートル氏は考えている。

「最悪の出来事でした」とメートル氏は振り返る。「ほかの多くの場所は略奪のために破壊されましたが、バーミヤンの大仏は略奪されていません。彼らはただ破壊したのです。この点に、人々はショックを受けました。このとき、世界は本当の意味で、何かが変わったと理解し始めました。世界的な遺産への敬意が失われたと理解したのです」

 2006年、メートル氏がバーミヤンに戻ったとき、巨大な空洞だけが山肌に残されていた。タリバン政権崩壊後の2003年に、バーミヤンは世界遺産に登録されていた。そこにはアフガニスタンの考古学者たちがいて、伝説にある第3の大仏を探していた。その大仏は破壊された2体よりさらに大きく、横向きに彫られたと言い伝えられている。破壊された状況を初めて目の当たりにしたメートル氏は、貴重な文化の歴史が失われたことを理解するのに苦労した。

「大きな穴が開いていて、何も残されていないのです」とメートル氏は振り返る。「なかなか理解できませんでした。以前たしかに見たものが、消えてしまったのですから」

 次ページでも、パスカル・メートル氏が撮影した、かつてのバーミヤンの貴重な写真と、その後、タリバンに破壊された大仏をご覧いただこう。

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