被災地で見た社会人たちのバスケ 挫折しても上を向く震災10年・離れて今(10)茨城県 大友隆太郎さん

大友隆太郎さんが幼いころからよく釣りにでかけた大津漁港(2021年2月、茨城県北茨城市)=大友功一さん撮影
東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所の事故から10年。少年少女時代に被災し、現在は進学・就職などで地元を離れている若者たちは今、故郷にどんな思いを抱いているのか。「震災10年・離れて今」第10回(最終回)は、茨城県北茨城市出身のバスケットボール選手、大友隆太郎(おおとも・りゅうたろう)さん(26)にオンラインで聞いた。

筑波大学、プロバスケBリーグの茨城ロボッツ(2部)を経て、オリンピック種目の3x3(スリー・エックス・スリー=3人制バスケ)に挑戦。東京五輪代表の夢は破れたが、Bリーグ復帰へ現在は滋賀レイクスターズ(1部)の練習生として汗を流す。震災直後の苦しい状況下、助け合いながらバスケを楽しむ大人たちの姿が、いつも背中を押している。

――晴れた海岸を写した「故郷の1枚」。場所はどちらですか。

大友さんは現在、滋賀レイクスターズの練習生となっている(大津市)=大友さん提供

「よく釣りに行った地元の大津漁港です。小さいときから自然が好きで、自然にふれあえる趣味として自己流で始めたのが釣りでした。釣りは素人の父(功一さん)を僕が連れ出していたんです。震災で堤防の位置がズレたり、原発事故が影響したり、近づけなかった時期もありました。写真は今年2月に父が撮影したものです」

「海を見ながらぼけーっとしている時間が僕は好きなんです。受験やバスケなどのことで、思い悩んだりイライラしたりしているとき、リフレッシュできました。中学時代、勉強に疲れた夜、父に頼んで夜釣りに行った思い出もあります」

寒くて暗い夜に見た星空

――県立水戸第一高校(水戸市)1年生だった2011年3月11日の地震発生時、どちらにいましたか。

「授業中で教室にいました。突然ガタガタッときて、地震がきたと思っているうちに急に大きく揺れて、これはおかしいと。校舎の壁が割れ、校庭に出ると地割れができていました。道路は信号が止まって大渋滞で、だれかの携帯のワンセグに宮城県の津波の映像が流れていたのを覚えています。すごくカオスの状況で、泣き崩れている子もいました。現実とは思えない感じでしたね」

「僕を含め歩いて帰宅するのが難しい生徒は校内に1泊しました。電気も水道も止まり、深夜に先生たちがお菓子とジュースを届けてくれるまで食料もありませんでした。家族とも連絡はとれません。そんなときなのに、夜空を見たら星がめちゃめちゃきれいだったんですよ。こんなきれいな星空はもう見られないと思うくらい。不謹慎かもしれないけど、それに救われた部分がありました。ちょっと散歩しながら、みんなで『きれいだな』って」

――茨城県は津波が襲った日立市や北茨城市など沿岸部を中心に67人の死者・行方不明者(関連死含む)が出ました。北茨城市の自宅は大丈夫でしたか。

「僕の家に津波被害はなく家族も無事でしたが、知り合いには家を流されたり、亡くなったりした方がいます。そうした被害が『東北のために祈ろう』などの表現で、なかったことのように扱われたくないんですね。津波といえば東北のイメージが強いと思いますが、被害に県境があるわけではないので、茨城県なども、ものすごい津波に襲われたことは多くの人に知ってほしいとは思っています。津波が起きたら県境に関係なく広い範囲が危なくなることを知ることは、防災の観点からも大事だと思います」

次のページ
「夢はNBA」の自分がいた場所
学生参加型コミュニティ 登録受付中
メールマガジン登録
大学の約束