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無料モノレール「アスカルゴ」が昇降する飛鳥山公園入り口(東京都北区)

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鉛筆画家の安住孝史さん(83)が、息をのむような作品とともにタクシー運転手時代を語る「バックミラーのいとしい大人たち」。2年にわたる連載の最終回は、安住さんが鉛筆画家になるまでの足跡や作画の方法、長期の執筆を終えた思いなどをお届けします。(作画中のコマ撮り動画は3ページ)

「ヤスさんと呼んでください。その方がいいんですよ」。初対面で「安住先生」と声をかければ、笑顔でポンポンと肩をたたかれる。雰囲気は大家や画伯というより「絵師」。画家に師事したことはなく、いわゆる画壇との縁は薄い。伴侶のある人生を遠ざけ、ひとり暮らしを続けてきた安住さん。「絵は自分を肯定する究極の手段。自分自身であるためのアリバイ証明みたいなもの」と語る。

自分にウソをついたピエロ

戦前の東京下町に生まれた次男坊。みずから「仮死状態の未熟児で生まれて鈍かった」と振り返る幼少期、きょうだいに比べて「孝史は疎い」と母に嘆かれた言葉が、現在に至るまでずっと耳から離れない。

幼稚園や疎開先の小学校では「笑われていたから、仲良くするためにピエロを演じていた」。親しんだのは父が疎開先にまで持参してくれた伝記や童話、詩などの本。やがて思春期になって気づく。「僕のピエロは他人にウソをついているんじゃない。自分にウソをついている」。うつうつと内向的な自分を意識した。

20歳の頃まで絵描きになることは考えていなかった。それでも中学校では教科書の余白やノートのページを落書きでびっしりにするほどで、高校時代には友人から「おまえ、漫画家になれ」ともいわれた。絵が好きだと自覚したのは、親に命じられて予備校に通った大学浪人中。「予備校をさぼって絵を描いていると心が休まった。気が紛れてホッとした」

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