井上芳雄です。3月は紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAで上演されているこまつ座の公演『日本人のへそ』に出演しています。井上ひさしさんの劇作家としての処女作で、どんでん返しが連続するエネルギーに満ちあふれた作品です。役者にはハードな芝居で、稽古は大変でしたが、幕が開いてみれば毎日が楽しい。お客さまのどよめきに、すべてが報われる気がします。

『日本人のへそ』の1幕は、吃音(きつおん)症の治療のために、患者たちが劇を演じるという設定で劇中劇が展開。東北の岩手から集団就職で上京してきた女子学生が、ヘレン天津という人気ストリッパーになり、ヤクザの女となったりしてのし上がっていきます。ところが話はそこで終わることなく、2幕になるとガラリと趣向が変わって推理劇になり、二転三転するというお芝居です。
俳優はみな一人で何役も演じます。歌って踊って早替えの連続とあって、動きっぱなしで体もきついのですが、幕が開いたら毎日楽しいですね。お客さまが毎回どんでん返しに驚いてくれて、客席が大きくどよめきます。それで全部報われるというか、今日も楽しかったという感じで終わって、また明日頑張ろうとなります。稽古のときは分からなかったけど、こんなにお客さまの反応が来るんだと、初日からびっくりしました。翻弄されるのを楽しんでくださっているのが舞台まで伝わってくるので、僕たちもすごいエネルギーを出しているけど、お客さまからもエネルギーをいただいています。
演出の栗山民也さんが、「井上ひさしは民主主義の作家」と言われているように、14人いる役者の誰かが突出することがなくて、一人ひとりに大事な役割が振られていて、最初から最後までそうなっています。僕も、メインの役どころもあれば、大勢のコーラスの一人を務めることもあります。役者にとって、みんなで作っているという心強さや安心感は井上先生の作品の特徴だと思いますが、『日本人のへそ』でもそれをすごく感じます。

共演者はすてきな人たちばかりです。ストリッパーのヘレン天津を演じる小池栄子さんは、ケラリーノ・サンドロヴィッチさん作・演出の舞台『陥没』でご一緒したことがあるので、気心が知れていて、そのときから魅力的な女優さんだと思ってました。今回はお芝居に加えて歌や踊りがあるし、ストリッパーの役だから肌も見せます。要求されているレベルが高いのですが、もともとのスキルに加えて、お客さまに見せるレベルにまで持っていくパワーがすごかった。最初から完成されているというよりは、一つひとつものにしていくという感じで、稽古場でどんどん変わっていったり、ステップを上がっていきました。僭越(せんえつ)ながら、僕も似たタイプだと思うので、一緒にやっていて安心だし、楽しいです。面白いことを派手にするというよりは、真顔で面白いことをする人なので、根っからのコメディエンヌなんだと思います。
朝海ひかるさんは、最初はアナウンサーの役ですが、そのあとストリッパーから代議士の秘書まで何役も演じます。宝塚の男役でトップスターでしたが、女優として活動するようになってからはストレートプレイも多く、こまつ座の舞台にもよく出ています。僕と同じミュージカル界出身というシンパシーを感じつつも、元宝塚とは思えないほどの演技の振り切りようがすごいです。お客さまもびっくりしたのではないでしょうか。栗山さんは、役者に極端な表現を求めることが多いのですが、それに果敢に、てらいもなく飛び込んでいくところは、やっぱり素晴らしい女優さんだと思います。
山西惇さんは、吃音症の治療にあたるアメリカ帰りの教授として登場します。ほかの役も含めて、セリフの量がとても多いのですが、素晴らしく安定した芝居を見せてくれます。なかでもヘレンの故郷である岩手の遠野から上野まで110個の駅名を言う場面は覚えるのが大変だったと思います。聞いたら、昨年の自粛期間中に1日に5個とか決めて覚え始めたそうです。稽古初日には完璧に覚えていて、栗山さんは「みんなもっと苦労するのに……」と驚いていました。もちろん努力しているのでしょうが、それを感じさせないで、軽々とやっているように見えるのはさすがです。
久保酎吉さんは、こまつ座では常連のベテランで、みんなに酎さんと呼ばれています。その酎さんが、若い役者と一緒に歌って踊って早替えしてと、半端じゃない運動量をこなしているのも驚きです。稽古に入って5キロぐらいやせたと言っていました。酎さんは審判員の役で登場して、1幕の途中では僕が演じるヤクザと同級生の組合のオルグを演じます。そんな設定が成り立ってしまうのも井上先生の本の面白さだし、僕にとっては、今回初めて酎さんと一緒にお芝居できたのはすごくうれしいことです。