
3月17日は、アイルランドの守護聖人である聖パトリックの日だ。
カリブ海に浮かぶ人口約5000人の島、英領モントセラトは、アイルランド以外で唯一、この日を公式な祝日に定めている。だがその祭典は、ドラム缶の太鼓に仮面舞踏、ヤギのシチュー、活火山といった、本家アイルランドの祭りにはない独特の伝統に彩られている。

カリブ海の島にしては珍しく、モントセラトにはリゾート地がなく、巨大なクルーズ船が立ち寄ることもない。携帯電話を落とせば、拾った人はそれをラジオ局に届け、持ち主の元に無事返されるのが当たり前。車は鍵を入れたまま放置されているし、家のドアに鍵をかける人もいない。そしてここでは、聖パトリックの祝日を10日間かけて盛大にお祝いする。
これを見て、大西洋の反対側にある小さな離島がアイルランドの伝統を金もうけの機会に利用しているのかと眉をひそめる人もいるだろう。そんな勘繰りはなくても、英国領なのにアイルランドのシンボルである三つ葉のクローバーをパスポートのスタンプに使ったり、アイルランド神話の女神エリウが金のハープを手にした姿が島の紋章に描かれたりしていることは奇異に映るだろう。
確かに聖パトリック祭は島に大きな収入をもたらしてくれるが、モントセラトの人々はまね事をやっているわけではない。初期の頃に入植してきたアイルランド人と、それに抵抗しようとしたアフリカ系奴隷という、この島が持つ2つのルーツを確認する大切な日なのだ。
今年2021年は、オンラインでの開催が決まったが、パンデミックのさなかにあっても、島の人々にとって聖パトリック祭を祝うことの重要性は年々高まっている。今もなお複雑なアイデンティティの問題を抱えるモントセラトでは、2035年までには英国から経済的に独立し、持続可能な観光業を育てたいという目標を掲げている。そういう状況下にあって、「自分たちは何者なのか、何を目指したいのか」という問いが、この目標をめぐる様々な決定に影響を与えているのだ。
アイルランド人だけではない
ヨーロッパ人がこの島に到達する前、島には先住民のアラワク族とカリブ族が住んでいた。モントセラトという名は、1492年にクリストファー・コロンブスによって付けられた。フランスに占領されていた時期もあったが、1632年に英国領となる。近くにあるセントキッツ島の総督が、英国とアイルランドの移民を送り込み、植民地とした。
英国の清教徒革命を率いたオリバー・クロムウェルが、1649年にアイルランドへ侵攻した後、アイルランド人の政敵をカリブ諸島のサトウキビ農園やたばこ農園での労働につかせるため、島へ強制移住させた。現地では、英国人とアイルランド人の地主、アイルランド人労働者、そしてアフリカからの奴隷という階層社会が作られ、それぞれの階層の間に対立が生じた。
労働者層のアイルランド人は、まじめに働けば7年後には土地を所有する権利を手にすることができたが、奴隷であるアフリカ人にはそうした権利は認められていなかった。1768年の聖パトリックの日、農園所有者と監督官が酒で酔っている隙を狙って、アフリカ人奴隷が島の各地で反乱を起こす計画を立てた。ところが、どこからか計画が漏れて、反乱は失敗に終わり、主導者のクッジョーを含む9人が絞首刑に処せられた。
モントセラトの聖パトリック祭は、その悲しい歴史を思い出す日であると同時に、祝賀の日でもあるのだ。現在は、両方のバランスを取りながら、様々な催しが開催される。祭りは、クッジョーの頭が見せしめにつるされたというクッジョーズ・ヘッド村で、たいまつに火をつける式典から始まる。その後、歴史的名所を回る森林ハイキング、スーフリエーズ・ヒルズ火山の立ち入り禁止区域をガイドとともに訪ねるツアー、星空の下で朝まで騒ぐゲリラパーティー「レプリコンの逆襲」といったイベントが続く。
祭りの規模が大きくなるにつれ、批判も噴出している。近年の聖パトリック祭は、心を失ったただのお祭り騒ぎになっているというのだ。古い世代は、島の文化に奴隷が与えた影響を忘れてはならないと警告する。