原発被災の町「大切にしまった」 柳美里さんと劇公演震災10年・離れて今(7)福島県 新妻駿哉さん

2021/3/23

震災10年・離れて今

東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所の事故から10年。少年少女時代に被災し、現在は進学・就職などで地元を離れている若者たちは今、故郷にどんな思いを抱いているのか。「震災10年・離れて今」第7回は、福島第1原発が立地する福島県大熊町出身で駿河台大学(埼玉県飯能市)に通う新妻駿哉(にいつま・としや)さん(19)にオンラインで聞いた。
原発事故前の福島県大熊町で撮影された小学校低学年の新妻駿哉さんと愛犬との1枚

新妻さんは震災後に開校した福島県立ふたば未来学園高校(広野町)の演劇部時代、同県南相馬市に移住した作家、柳美里さん作・演出の「静物画」に出演した。「大熊にいたのは九歳までだから、九歳までの記憶しかないんですけど、あの家と庭には大切な記憶があります」。台本には新妻さん自身の声も織り込まれている。

被災ペットと神奈川で再会

――新妻さんが2匹の愛犬と写った「故郷の1枚」。どんな思い出がありますか。

「小学校低学年のころ、大熊町内の公園で撮った写真です。名前はラッキーとハッピー。毎日散歩に連れていったり、庭で遊んだりしていました。ただ、震災翌日に避難するときには犬を連れていけなかったんですよね。それで4日後に親がいったん家に戻ったときには、いなくなっていました。あとで知ったのですが、(被災ペットを)保護してくれた団体があったんです」

「神奈川県の里親のもとにいるのがわかって、一度だけ会いに行ったんですけど、元気にしていて、むちゃくちゃうれしかった。震災から1年たってなかったと思います。2匹は同じ日に生まれたきょうだいなんですが『いつだって一緒なんだなぁ』と、思わず笑みがこぼれました」

――2011年3月11日の地震発生時は、どこにいましたか。

「当時は町立大野小学校の3年生で、揺れたのは下校途中でした。近くの建物の前にいた大人の人たちが(緊急地震速報を表示したと思われる)携帯を見てあわてて中に入っていくのをみて、なんかおかしいな、と。そしたらぐらぐらっと来て、めちゃくちゃ揺れて、なんと表現したらいいか……。ほかの子たちもしゃがんだというか伏せたというか。うずくまって下をみて、自分も含めて悲鳴をあげていたと思います。何が起こっているのかわからない、みたいな感じでした。電線も切れたのか、ぶらさがっていました」

――地震後の津波で原発事故が起きます。帰宅後はどのように避難しましたか。

「避難したのは翌12日の朝です。父の知り合いで原発関係の方が『すぐ逃げた方がいい』と教えてくれたらしく、両親と祖母、曽祖父、自分の5人で(西側で隣接する)川内村にある母の実家に行きました」

「原発が爆発した(=12日午後3時36分、1号機の原子炉建屋で起きた水素爆発)というニュースのあと、今度は福島市の親戚の家に行き、そこに何日かいて、さらに栃木県宇都宮市に移りました。はじめに避難を勧めてくれた方に『まだ福島にいるのか。県外に出ないとダメだぞ』と父が言われたんです。宇都宮ではアパートに1カ月くらい住みました。その後、学校が校舎を借りて『大熊小学校』として再開した会津若松市で1年過ごしました。今はいわき市に自宅があります」

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