男の白ソックス、みゆき族から広まった

――子供のときからおしゃれに興味があったテリーさんも築地育ちで、親が商売をされていて。

テリー「テイメンができたときは中2くらい。テイメンってすごかった。まばゆかったもんね。敷居が高すぎて入れなかったね。あのころ、初任給は1万円ちょっと。そのときに、VANの服はびっくりするほど高くて、スタジャンがほしいな、と思っても、1着が5000~6000円もするから買えるわけない。それに、テイメンにはVANの服を着ていないと入れないようなプレッシャーを感じていました。センスのいい店員さんにファッションチェックされるみたいで。高校生になって入れるようになりましたが、買っても夏はコットンパンツ、バミューダパンツ、マドラスチェックのシャツくらい」

「みゆき族にソックスがものすごくはやって。ブランドカラーである黒と赤のラインが入った白のスポーツソックスが大ヒットしたんです」

――まばゆい店。憧れる店があるのっていいですよね。VANブームの同時期、60年代半ばの銀座といえば、みゆき族。銀座みゆき通りに集まる若者ファッションがブームになりました。

テリー「女の子は長めのタイトスカートでしたね。みなちょっと不良がかかった格好をして。あのころみゆき族ではやっていたのが、赤いベスト。それから今でもコンビニで売っている、透明のレインコートのグレーがかったもの。透明ものがはやっていたの。VANは買えないけど、安いものでアレンジしていましたよね」

石津「みゆき族はアイビーをちょっと崩したような格好。それでみゆき通りをぶらぶらして。象徴的だったのが、ノータックのパンツ。まだ男性がぶかぶかのズボンをはいていた時代に、細いぴたぴたでくるぶし丈」

――みゆき族からはやったスタイルに白いソックスをはくというのがあったそうですね。赤と黒のラインが入ったVANのソックスをみんながはいたとか。

テリー「短いパンツに合わせて足元はローファーかスニーカーが決まり。パンツの丈は、ソックスをわざわざみせるためでもあったんです。VANの服は買えなくても、ソックスくらいなら買える。ブランドカラーである赤と黒のラインをみんな見せていましたよ。でもあのころのパンツはコットンの質が悪くて、洗っていると4~5回で相当縮んじゃう。だからさらに短くなって、つんつるてんなの(笑い)」

石津「ソックスは大ヒットして、ものすごく売りましたよ。あとハイソックスもヒット。それまでスポーツソックスをはく発想はなくて、男性の足元はすけすけのシルクの黒や紺。男の足元にも大きな革命が到来したんです」

(聞き手はMen's Fashion編集長 松本和佳)

石津祥介
服飾評論家。1935年岡山市生まれ。明治大学文学部中退、桑沢デザイン研究所卒。婦人画報社「メンズクラブ」編集部を経て、60年ヴァンヂャケット入社、主に企画・宣伝部と役員兼務。石津事務所代表として、アパレルブランディングや、衣・食・住に伴う企画ディレクション業務を行う。VAN創業者、石津謙介氏の長男。

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