脳とライブの不思議な関係 「落語×オペラ」で考えた
立川談笑
まずは楽しい仕事の話から。
北陸は石川県金沢市に行ってきましたよ。落語とオペラという異色の組み合わせのライブがあったのです。前半に私の創作による落語「八百屋お七~比翼塚の由来」、そして後半にオペラ「おしち」をたっぷり堪能していただく。そんな企画の、最終公演でした。今回はオペラを入口に、「生」「ライブ」「実体験」について考えます(「悲劇の八百屋お七、生きてくれ ネタばれ覚悟で談笑版」参照)。
生の演奏・生の歌声・生身の肉体
この公演。開演とともに落語の幕が開くと、高座のあるステージと客席の間に広くて暗いオーケストラピットがあるのです。もちろん落語の時間には使われることはありません。客との距離が離れるのは正直言って落語にはマイナスなのです。ところがそこは、天下の立川談笑。芸の力で乗り切りましたよ。わはは。いやいや、あたたかいお客様に助けられました。心地よい一体感を私自身も楽しませていただきました、ハイ。感謝、感謝。
そして休憩を挟んでのオペラ「おしち」(池辺晋一郎作曲、星野和彦作)は、私の落語版とモチーフこそ共通ですがストーリーは大きく違います。休憩をはさんでたっぷり2時間ほど。私も舞台袖から存分に堪能しました。ステージ正面からの完成品もいいのですが、半分は舞台裏も同時に見ていたいのです。
いやあ、もう圧巻のひとことでした。演奏はオーケストラ・アンサンブル金沢。生の楽器がときに壮大に、ときにしめやかに響きわたり、生の歌声はホールを震わせ、生身の肉体が躍動する。これぞ、ライブの醍醐味です。
終演後、ホール全体を揺るがすような盛大な拍手の中、何度も繰り返されるカーテンコール。私も高座着で出て行ってあいさつの列に加わりました。お七と手をつないじゃった。わー、もう大興奮です。
さてさて。オペラも落語もそうですが、舞台芸術は確かに録画、録音でも楽しめます。すばらしいものは、すばらしい。それでも、どうしたって本来はこっちなんですなあ。「生」「ライブ」が一番。極端なたとえですが、テレビ画面で食事シーンを見るのと、実際のテーブルで料理を口に運ぶくらい。それほどの違いがあります。
ひと昔前、料理番組がありましたよね。普通ではありえないような高級料理をスタジオで実際に作って、「さあ、どっち?」って抽選があって出演者たちのうちラッキーな数人だけが実食できて、食べられなかった人たちがうらやましそうに見て悔しがるっていう。考えてみると、テレビで観ているって段階で我々は最初から食べられない側でしたよね。「どっち」の抽選にも関われず、ただうらやましがるだけ。あれはふしぎな人気番組でした。
テレビの話をもうひとつ。生放送で「あの歌手が生歌を披露!」なんて、たまに見かけます。スタジオ内でアーティストが歌って、その場の出演者たちが目をうるませて「ああ、やっぱり生は迫力が違いますねえ」というあれ。でも、「生」なのはその場にいる人たちだけですよね。テレビを観ているこっちは「生」じゃないんだ。あれもおかしな物言いだなあと。
こうして私が「生」にこだわるのは、落語を通じた高座での実感があるからです。落語会や寄席にお越しになるお客様も当然分かっていらっしゃるはずです。その場で体感する「生」と、録画だとかインターネットだとかが挟まるのとは、大違い。まったく別物と言っていいくらいに、違います。
さらにここからちょっと違うアプローチで話を進めます。
脳の研究をする学者にインタビューをしたときのことです。有名な先生。専門は「人間が様々な活動をする中で、どんなときに脳が活性化するか」の研究。「どんな理由で?」には立ち入らず、とにかく手当たり次第に脳が活性化する様々な場面を探しているということでした。
「読書。本を読みますね。もちろん読書のとき脳は活性化するんです。文庫本で夏目漱石を読んだ、活性化した。ところが、夏目漱石の同じ作品を読むのでも電子書籍やパソコンの画面で読んだ時は、なぜか活性化しないんです」
「どうしてですか? ページをめくる作業ですかね。紙の触感とか本の重さとか。紙だとかインクのにおいが何か刺激になってるんでしょうか?」
「いえ、理由は分かりません。私は活性化するかしないかを調べてるだけですから」
「ああ、そうですか。不思議ですね。ほかにそんな事例はありますか?」
「こうして顔を合わせて人と話をする。活性化します。これが、電話だと活性化しないんです」
「えー! 電話、活性化しませんか。電話でむずかしい仕事の話もしますよ。こみいった相談ごととか。笑ったり怒ったり泣いたりもするのに。ずいぶん頭も心も使ってそうなのに、どうして活性化しないんですか」
「理由は分かりません。私はその結果を集めるだけですから」
「なるほど。んん、電話の時に欠けているもの。……視覚情報だ。じゃあ、テレビ電話だと活性化しますか?」
「調べました。テレビ電話は、活性化しませんでした」
「おおー! しませんか。じゃあ直接会うときに発生する特別なものって何ですか。におい? 威圧感? 身体から発せられる謎の生体エネルギー?」
「わはは。分かりません。私は結果を(以下同文)」
ずいぶん昔のことですから今は先生の研究成果も当時と違っているかもしれません。面倒をかけるといけないので先生のお名前は出しません。
今の時代に大切な「何か」
ひるがえって今のご時世ですよ。時代が変わって、電子書籍は今や当たり前です。それどころか小中学校の授業でもパソコンやタブレットが導入されています。このコロナ騒動を機に、リモートワーク、ズーム会議も急速に常識として我々の生活に入ってきました。落語家だってリモート落語に挑む時代です。
そんな中で必要にかられて、「代替手段だから仕方がない」「慣れれば意外になんとかなるもんだ」なんて夢中で対応しようと悪戦苦闘する毎日です。でも、私はあのときの先生の話を思い出して、「ちょっと待てよ」と立ち止まりたくなるのです。
この圧倒的な変化の流れの中で、肝心な何かがおろそかになっているとしたらどうでしょう。
機械が間に挟まったコミュニケーションでは気づかないけれども、実は人間にとって必要な何かが欠けているのかもしれません。もちろん断言はできません。またそれが何なのかは分かりません。数値化もできないでしょう。それでも、落語家が高座の上で明らかに感じる「何か」。オペラ歌手がステージで歌いながら実感している「何か」。脳科学者が実験を重ねて見つけ出した、違いとしての「何か」は、必ずあるはずです。
直接顔を合わせて話をすることや、手に取って書籍や新聞を読むことなど、実体験を通じてこそ心にひびく「何か」が、今この時代にとても大切な気がしてならないのです。
とまあ、こんなとりとめのない話をね、気の合った友だちとなじみの店に集まって酒を酌み交わしながらやりたいのですよ。今はできませんけどね。お花見もね。できない、できない。我慢、我慢。
1965年、東京都江東区で生まれる。高校時代は柔道で体を鍛え、早大法学部時代は六法全書で知識を蓄える。93年に立川談志に入門。立川談生を名乗る。96年に二ツ目昇進、2003年に談笑に改名、05年に真打ち昇進。近年は談志門下の四天王の一人に数えられる。古典落語をもとにブラックジョークを交えた改作に定評があり、十八番は「居酒屋」を改作した「イラサリマケー」など。
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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