――地元と東京との意識の差とは。

「例えば、当時はよく東京から被災地に行くツアーがあって、その運営にも携わっていたのですが、わざわざ広告費を使って『集客』するのはどうなのかなと。私としては、そこまでして来てほしいと思っていなくて。意思のある人にだけ来てもらえたらと」

――就職についてはどう考えていたのですか。

「ボランティアなどがつらくなった後に、じゃあ自分が何がしたいのかと考えたとき、商売だと思ったんです。もともと商売が大好きで。これは(津波で亡くなった)祖父母の影響ですね。祖父母は青果店やカラオケハウス、不動産など複数の店舗を地元で経営していて、小さい頃からよく手伝っていました。夏祭りの記憶といえば、花火よりも一生懸命かき氷やとうもろこしを売っていたこと。自分でも商売のセンスがあるなって思うんですよね。祖父母もいつも褒めてくれましたし」

「大学時代に日本酒の販売店でバイトしたのですが、そこで『店長をやらないか』と誘われ、私には商売の血が流れているし、普通の就職より面白いじゃん、と思って入社しました。1年ほど働き、店舗運営のノウハウなどはつかんだところで、自分に足りないのはプロモーションのスキルだなと思ったんです。広告業へ転職したいなと思っていたところ、常連客の方が『うちの会社にきなよ』と、今の勤め先であるIT企業を紹介してくれて、現在はウェブマーケティングの仕事をしています。地元に帰ってから商売をするときに役立ちそう、とも思ったんですよね」

地元が好きすぎて

祖父の高橋長禄(ちょうろく)さん、祖母の治(なおし)さんが経営していた青果店「高茂商店」(佐藤さん提供)

――祖父母のお二人はどんな「商売人」でしたか。

「常に勉強して、停滞しないように心がけていて、私にも外の世界を見てほしいと思っていた気がします。(南三陸町から離れた)県立石巻高校に合格したときもとても喜んでくれました。いつも夜遅くまで働いていて、サービス精神にあふれてました。カラオケハウスの常連客の方にも、よくサービスで料理をふるまっていましたね。今思えば、顧客をつかむ方法だったのかな」

――将来の夢は何ですか。

「いつか地元に戻って、祖父母がやっていたように、自分の店を持つのが夢です。地元の人たちが集まって、笑顔になれるような居酒屋かな。スナックでもいいかも。祖父母が聞いたら? とっても喜ぶと思います」

「地元に戻りたいとは高校生の頃から周囲にずっと言っていて、その気持ちは全然ぶれなくて、自分でも驚いているぐらいです。実は地元が好きすぎて、中学の同級生と結婚することになり、年内に入籍予定です。震災では失ったものも大きいですが、進学、就活、そして今に至るまで、一本何か芯があるかと問われれば、やはり人生の選択の基盤になっているのは南三陸町なんです。それってたぶん震災があったからこそなんじゃないかって、今なら思えます」

――地元に残って町のために頑張っている同世代もたくさんいます。そういう方々に対しては、今どんな思いですか。

「すごいなあとも、ありがたいという気持ちとも違うんですよね。大学時代、私が地元にうまく関われていないときはもどかしい気持ちで見ていましたが、今では違う関わり方ができたらいいなと。私が戻れる場所を残しておいてほしいな、なにか力になれることがあれば言ってほしいなっていう思いですね。離れていても、通じ合っている感覚がありますし、信頼感しかないですね」

(聞き手は安田亜紀代)


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