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竹本勝紀・銚子電気鉄道社長

竹本勝紀・銚子電気鉄道社長

幾多の経営難を乗り越えてきた千葉県銚子市のローカル鉄道、銚子電気鉄道社長の竹本勝紀氏(58)。食品販売で不振の鉄道事業をカバーしたり、2020年には「電車を止めるな!」という映画も制作したりするなどユニークな経営手法で知られる。竹本氏は慶応義塾高校(横浜市、塾高)の出身。母校でどんな体験をし、何を学んだのか。

千葉県木更津市で幼少期を過ごした。東京や横浜には憧れがあった。

「パルテノン神殿みたいで格好いい。しかも新幹線も見える」。塾高を志望したのは、白亜の荘厳な校舎と立地の良さにひかれたからです。生まれ育ったのは千葉県の木更津市。父親は地元で税理士事務所を営んでいました。当時は東京湾アクアラインも開通していないので、都内や神奈川の高校に通学するのは難しかったのですが、あえて塾高を受験しました。

大半の中学の同級生は地元の公立高校に進学します。しかし、大学受験が煩わしいと感じていました。中学時代はバンド活動にのめり込んでいましたが、幸い成績も良かったし、親元を離れて都会で一人暮らしをしてみたかった。子供の頃から電車も好きだった。塾高のある日吉は、東急電鉄の東横線が走り、高台にある校舎からは東海道新幹線が疾走する姿も眺められる、電車ファンにはたまらない環境。イチョウ並木のキャンパスに伝統のある校舎、木更津の少年にはまぶしく映ったのです。

「ユーは何しに塾高へ」。高校デビューはそんな感じでした。塾高は首都圏から生徒が集まり、1学年は約800人のマンモス高校。AからRまで18クラスありましたが、さすがに木更津出身は珍しかった。小学校にあたる慶応義塾幼稚舎、そして中学校にあたる中等部や男子のみの普通部など内部生からは、「なぜ木更津から」と興味本位の好奇心の対象になります。

日吉での一人暮らしがスタートし、田舎者扱いされ、なじめないのではという不安もありましたが、入学後の最初の英語の試験で1人だけ満点を取ったことをきっかけに、多くのクラスメートから話しかけられるようになりました。部活はワンダーフォーゲル部に入り、塾高ライフの出足は好調でした。

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