「見た目」が語る人となり

カタカナで書く、テレビ関係の「ギョーカイ人」らしさを、流布された画像はできすぎともいえるほどに備えている。

言い方を変えれば、この見た目は情報量が多い。第一印象を導くにあたっては、いささか冗舌が過ぎるほどだ。大半の人は、「ギョーカイ人」的な風貌から、ある種の先入観を抱いてしまいそうだ。この連載ではかねがね「視覚をはじめとする、言葉以外の情報が重要。見た目もしゃべりの柱」と述べてきた。

「勤め人」の枠に収まりきれない「半自由人」の雰囲気を感じさせる見え具合だ。これは放送業界でのキャリア戦略としては必ずしも悪くない。放送業界では堅苦しいキャラクターが評価されないという、特有の傾向があるからだ。むしろ、ちょっとラフであったり、カジュアルであったりするほうが「さばけた人柄」を印象づけやすいというメリットがある。

代表的な着こなしに「プロデューサー巻き」がある。カーディガンをはおらないで、肩や腰に巻き付け、正面で袖を結ぶというまとい方だ。テレビ局のプロデューサーが好みそうなスタイリングというイメージから、この呼び名がある。

メディアに登場する、制作現場寄りのテレビ人はスーツ姿ではないことが多い。思い思いに自分らしいイメージを髪型や服装で演出しているようだ。プロデューサー出身のテリー伊藤氏は割と奇抜な装いが持ち味になっている。

こういった「業界慣習」があるから、長髪やひげ、着崩しには、それなりの必然性がある。業界の空気を理解していることを、見た目が裏付ける格好だ。「サラリーマン的には振る舞わない」という、ワイルド系の発想・立ち回りを体現するような意味合いもありそうだ。「芯が強い」「主張がある」といった、クリエーティブなイメージをまとえるのは、放送業界人としてプラスに働く面もあるだろう。

しかし、それらのメリットが生きるのは、放送業界の内側においてだ。別の居場所では、ネガティブなまなざしを受ける可能性がある。たとえば、銀行や官公庁といった世界では、約束事に反した装いとみなされやすいはずだ。世間の各領域にはそれぞれのドレスコードがある。放送業界であっても、経営者や管理職にはスーツ姿の人が少なくない。同じ業界の内側でも、居場所ごとにコードは異なる。

今回のケースでは、放送業界の外からも視線を集めることになり、世の中一般の感覚に基づいて、身なりが関心を集めることになった。大物官僚と会食する、企業を代表するような立場の人物という前提で眺めた結果、ある種の違和感を覚える人が現れたのは無理もない。自分が勤める企業の部長はあのような風貌をしていないと驚いた人もいるだろう。

見た目にメッセージが宿るという前提からいえば、あの風貌は「型にはまらない」という人物像を連想させやすい。その印象は大胆に物事を推し進めていく際にはプラスに働くかもしれないが、今回のように「官公庁との会食ルールを守る人物か」といった疑問を伴う視線を浴びる場合にはマイナス要素となりかねない。会食が許される金額や頻度、話題などを丁寧に下調べして、コンプライアンス(法令順守)を徹底しようと努める人物とは見えにくくなってしまうからだ。

もともと放送業界にはコネ入社が珍しくないという、世の中一般に広まっているイメージがある。とりわけテレビ業界を目指す就活生の間ではコネの有無は切実な問題として意識されやすい。そうした下地があるとわかっていれば、痛くない腹を探られないよう、装いや言動を選ぶという考え方もあるはずだ。作家や芸能人を家族に持つ人が放送業界に入社しても、必ずしも全員がコネのおかげとみなされないのは、おごった振る舞いを見せず、実力を証明する人が少なくないからだろう。

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