――千葉ジェッツの社長時代、bjリーグから日本リーグへ移籍して反響を呼びました。

「ジェッツの経営に初めて携わった時、バスケットもスポーツビジネスも全く知らない門外漢でした。でも、日本のバスケット界でリーグが2つ存在していることを知って、直感的に『分かりづらいな。これじゃ盛り上がるわけがない』と思いました。当時は日本代表がそろっているけれど、ファンサービスには興味のない実業団主体の日本リーグと、地域密着だけど競技力は劣るbjリーグが並立していたのです。競技性を高めながら地域も盛り上げる。この2つをなぜ両立できないのか、本質に向き合えていないとシンプルに思いました」

旅行会社を経営していたころから「営業は得意でした」という(30代の島田氏)

「日本リーグへ移籍したのも、早くリーグが一つになるべきだと思ったからです。『新参者。何も知らないからそんなことが言えるんだ』などと散々たたかれました。でも、自分は間違っていないという信念と、現状維持なら人生をかける意味がないという覚悟があったので、真っ向から挑むことができたのです。今でもBリーグに『分かりづらさ』があるなら、それをひもといて誰にとってもクリアにすることがチェアマンである私の責務だと思っています」

やるしかないと決めたら徹底的にやる

――万年赤字の千葉ジェッツをリーグトップクラスの人気チームへと変えました。

「一番大切なのはマインドセットです。当時、バスケット界できちんと身を立てられる、生活していけると考える人はほとんどいなかったのではないでしょうか。選手のサラリーは上限を決めて抑えるとか、スタッフも好きなスポーツに携わっているのだから安月給でいいとか、あしき慣習がはびこっていました」

「私は旅行会社などを経営していたんですが、当時から営業は得意でした。スポーツの興行やスポンサー集めなどでも、『相手の立場に立ってニーズに合った商品をつくり、真心を込めて売れば絶対に成功する』と思っていました。だから社員に対して、『絶対にみんなの給料を増やす。黒字にできなかったら退任する』『成長が止まったら辞める。俺を辞めさせたかったら、手を抜けばいい』と公言して、ひたすら実践する姿を見せてきました。そうするうちに、徐々に全員の目の色が変わって、経営破綻寸前だったクラブの売り上げはリーグトップになったのです。ホームゲームの1試合平均の入場者数は社長1年目に約1100人だったのが、7年目には約5000人まで増えました」

「Bリーグの初代チェアマンで、2リーグを統合した川淵三郎さんは『怒りが原動力だった』とよく話されていましたが、私も当時は理不尽さへの怒りに突き動かされていました。やるしかないと腹に決めたら徹底的にやる。信念を貫き通せるかどうかが、何かを達成するための入り口ではないでしょうか」

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「何考えてるか分からない」は最悪のリーダー
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