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そして、栗山さんが言うには、「これは言葉の劇である」。話し言葉が滑らかに出ない吃音症の人の話でもあるし、東北なまりの少女は東京に染まっていくにつれ言葉も変わっていく。そしてヤクザの女になると、その世界ではまた違った言葉が話されている。

なので栗山さんは役者に対して、言葉を発する声にいろんな注文をつけます。「もっと東北の大地を感じさせる声がほしい」「この振付師は紫色のタイツをはいているのだから紫色の声で出てきてほしい」。僕もヤクザのときは「もっとチープな声で」と言われました。みんな何役もやるので、それぞれの声を探すのが大変で、必死です。コントみたいな要素も多分にあるのですが、演技自体はその人になりきることを求められているので、言葉と声で人間を伝えたいということでしょう。人間のなにか根源的なものを描くのが、この作品のテーマじゃないかという気がしています。

場面ごとにガラリと変わる自分になる楽しさ

小林多喜二の生涯を描いた『組曲虐殺』もそうですが、井上先生の作品は1人の人物に焦点を当てたり、メッセージがはっきりしているというのが僕の印象でした。ところが、『日本人のへそ』はそういう感じではなく、問いかけてくるものが多い作品です。タイトルにしても、劇中で「日本人のへそ」という言葉は出てこないし、なんのことかよく分からない。日本の中心という意味なのか、日本人が一番大事にしていることなのか。それもまた、この作品の問いかけだろうし、多くのものが含まれている作品だと思います。

僕の役のことをいうと、いろんな役を演じ分けた経験はあまりないので、とても楽しいですね。役の声を探すのは大変だけど、それも含めて。今まで演じたことがないようなショッキングな役柄もあるので、ひとつひとつの役柄も新鮮です。栗山さんには、「芳雄の優しいところがまた出ちゃってるな」とか「プリンスじゃないんだから」と言われながらやっています。僕は役を作ったり、全然違う人になるのはあまり得意ではないし、そうしたいという願望も強くないほうだと思います。でも今回は、思い切り違う人を演じる面白さを、初めてといえるくらい感じています。演じるって、役者の仕事って、こういうことかと。場面ごとにガラリと変わる自分になる楽しさって、舞台役者の醍醐味かもしれませんね。

『夢をかける』 井上芳雄・著
ミュージカルを中心に様々な舞台で活躍する一方、歌手やドラマなど多岐にわたるジャンルで活動する井上芳雄のデビュー20周年記念出版。NIKKEI STYLEエンタメ!チャンネルで月2回連載中の「井上芳雄 エンタメ通信」を初めて単行本化。2017年7月から2020年11月まで約3年半のコラムを「ショー・マスト・ゴー・オン」「ミュージカル」「ストレートプレイ」「歌手」「新ジャンル」「レジェンド」というテーマ別に再構成して、書き下ろしを加えました。特に2020年は、コロナ禍で演劇界は大きな打撃を受けました。その逆境のなかでデビュー20周年イヤーを迎えた井上が、何を思い、どんな日々を送り、未来に何を残そうとしているのか。明日への希望や勇気が詰まった1冊です。
(日経BP/2970円・税込み)
井上芳雄
1979年7月6日生まれ。福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。大学在学中の2000年に、ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役でデビュー。以降、ミュージカル、ストレートプレイの舞台を中心に活躍。CD制作、コンサートなどの音楽活動にも取り組む一方、テレビ、映画など映像にも活動の幅を広げている。著書に『ミュージカル俳優という仕事』(日経BP)、『夢をかける』(日経BP)。

「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第89回は3月20日(土)の予定です。


夢をかける

著者 : 井上芳雄
出版 : 日経BP
価格 : 2,970 円(税込み)


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