女子ラグビー「鉄人」トライ 故郷に明るいニュースを震災10年・離れて今(1)岩手県 平野恵里子さん

2021/3/9

震災10年・離れて今

「KAMAISHI RUGBY」と書かれた大漁旗Tシャツ姿の平野恵里子さん。背景はふるさと吉里吉里にある鯨山(2020年10月)=平野さん提供
東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所の事故から10年。少年少女時代に被災し、現在は進学・就職などで地元を離れている若者たちは今、故郷にどんな思いを抱いているのか。連続インタビュー企画の第1回は、高校まで岩手県の大槌町や釜石市で過ごしたラグビー女子日本代表、平野恵里子(ひらの・えりこ)さん(28)にオンラインで聞いた。

トライゲッターのウイング(WTB)として鳴らす平野さんは、2020年11月にスペインに渡り、現地セビリアのクラブで強化に励んでいる。新型コロナウイルスの影響で、21年秋の予定が22年に延期されることになったワールドカップ(W杯)が当面のターゲットだ。出身地は大槌町の吉里吉里(きりきり)地区。砂浜歩きの音を表したというアイヌ語由来の名をもつ土地に生まれ、ラグビーの心と技は新日本製鉄釜石ラグビー部(1978~84年度日本一、釜石シーウェイブスの前身)ゆかりの隣まちで培った。

吉里吉里人は鯨山で初日の出

――「故郷の1枚」として釜石の大漁旗Tシャツを着た写真を提供していただきました。背景の山は。

「吉里吉里にある鯨山(くじらさん)です。スペイン出発前に撮影しました。毎年、初日の出を見に山頂に登る行事があって、小学生のころは家族で欠かさず参加していました。今でも帰ったときは、必ず父に海に連れていかれ、鯨山をバックに写真を撮るんです」

「リアス式海岸にある海と山にかこわれたまちで、子どもは中学校までずっと一緒に育ちますから、すごく絆が深いです。地元のお祭りや運動会では、みんな家族みたいに声をかけ合います」

――お父様がラグビー経験者で、釜石にあるラグビースクールに通われました。ラグビーのどこにひかれましたか。

「トライ、ですかね。小学校に入った当初は足が遅くて学校でもビリだったんですけど、ラグビーを始めたら2年生のときには足が速くなっていて。それでトライをとると周りの人が喜んでくれるのが楽しかった。男の子より速く走れたので、(相手をかわすように)抜きに行って、トライしていました」

――県立釜石高校の卒業式を終え、日本体育大学入学を控えていた2011年3月11日に震災が発生しました。当時はどこにいましたか。

「町外の山の斜面で、父の土木工事の手伝いをしていたんですけど、体験したことのないすごい地震で『これはやばい』と。作業を中止して、すぐに帰ろうということになりました。途中では大槌病院が火事で燃えているのを見ました。いったん津波が引いた後でしたが、海の近くを避けて、線路の上やトンネルの中を歩いて、吉里吉里に向かいました」

「まずひとり暮らしのおばあちゃんをさがしに行きました。がれきで家にはたどり着けなかったのですが、後で小学校に避難しているのが確認できました。自宅も見に行ったのですが、そこも流されて、がれきになっていました。家族は仕事で留守にしていて、ペットの犬だけがいたはずでした……。名前は『パンプ』。当時好きだった(音楽グループの)『DA PUMP』からもらいました」

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被災者にしかわからない気持ちがある