「静岡的身体」に刻まれた味覚 教育学者・斎藤孝さん
食の履歴書
教育学者の斎藤孝さんは大学進学で上京し、食べ物の違いに驚いた。自分の味覚や好みが、高校時代まで過ごした静岡で決定付けられていることをつくづく感じたという。体に刻まれた食の感覚とは。
食に対する感覚の違いを最も実感したのは、とろろだ。18歳で上京して間もなく、大学近くの飲食店で定食を注文した。長いもをすりおろした白いとろろを見るなり「これがとろろと言えるのか」とカルチャーショックを覚えたという。
静岡の実家で食べていたのは自然薯(じねんじょ)のとろろだった。近所に住む山田さんという男性が斎藤家によくお裾分けしてくれた。山田さんはごつごつした岩場に自生する天然の自然薯を根元深くまで折らないよう丁寧に掘り出す名人だった。
子どもたちがそれをすり鉢ですり、味噌汁に入れたり、そばにかけたりして食べた。東京の白いとろろと違って粘りがあり薄茶色。「東京でとろろを見るとよけいに自然薯が恋しくなった」
とろろ汁は静岡のご当地グルメの代表格。実家の近くには有名な「丁子屋(ちょうじや)」という店があり、家族でよく食べにいった。江戸時代から東海道丸子宿(まりこしゅく)のとろろ汁の茶屋として知られ、斎藤少年が愛読していた十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも丸子宿のとろろ汁の話が出てくる。
この地を訪れた松尾芭蕉は「梅若菜 丸子の宿の とろろ汁」と詠んだ。歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」には丸子宿のとろろ汁を売る茶屋が描かれている。学び、読み、食べながら、歴史、文学、食べ物、風土が混然一体となって体に刻み込まれていった。
「今でもむしょうに食べたくなり、とろろ汁を食べるためだけに東京から静岡へ車を走らせることもある」
食で戸惑ったのはとろろだけではない。静岡でおでんといえばイワシを骨ごとすりつぶして作った黒はんぺん。おでんだしの味も濃い。「東京のおでんの店で黒はんぺんが出てくると『なんだかいいな。懐かしいな』と感じる」。半面、関西風の薄味のおでんで白はんぺんを出されても、体の内側から湧き上がってくるような満足感はついぞなかった。
自分が慣れ親しんだ味とは違うという感覚は、故郷を離れて暮らした経験がある人なら幾度かは味わうだろう。だがそれがとりわけ強烈だった。「『これじゃない』という違和感センサーが体の中でピピッと働くと、もうだめ」。これはおいしくないとなってしまうのだった。
このモヤモヤ感はどこからくるのか。「静岡の食べ物でないとスイッチが入らない。それが幼少期から形作られた『静岡的身体』に原因があるのだと気づくまでに時間はかからなかった」
ミカンどころ静岡では箱の単位でミカンをごっそり買うのが普通だった。当然、冬になると1日に10個は口に入れた。ミカンの食べ過ぎで手のひらや足の裏が黄色くなるほどだった。だから東京の一人暮らしでもミカンばっかり買って食べた。「とにかくミカンがないと、いられない。自分の体の中の静岡的身体が騒ぎ、ミカンを食べて心を落ち着かせた」
くしくも現在、研究者として取り組んでいるのが、身体感覚を軸に人間を理解する身体論だ。裁判官を目指して法学部に入ったが、学部時代に受けた授業で教育問題に関心を抱くようになり「日本の教育を背負っていきたい」と目標を変えた。大学院は教育学専攻を選び、身体を基盤にした教育のあり方を考え続けた。それが「声に出して読む日本語」など数々のベストセラー作品につながった。
人間の価値判断は心に由来すると思っているが実は、身体感覚を基盤にしているとみるのが身体論。「物事を判断する根っこに身体感覚があり、それは環境や風土、その土地の方言によって形成される」。とろろの違和感はまさに原体験だった。
東京に住んで42年がたったが「いまだに食の好みが18歳の頃と変わらない。むしろ50歳を過ぎて年々強くなっていると感じる」。
静岡ではもうそろそろ名物の桜エビの季節だ。桜エビは国内では駿河湾でしか水揚げがない。生で食べてもおいしいし、母親が揚げた天ぷらは格別だった。懐かしい熱々の思い出とともに、またあのザワザワした感覚がよみがえってくる。
【最後の晩餐】 人生最後はスッポン料理で締めくくりたい。沖縄県名護市にある「円山」という店で人生初のスッポン料理を食べたことがある。生き血の「血酒」から始まる本格コース。元気が身体に満ちた気がした。でも最後のつもりが寿命が延びてしまうかもしれない。
名物・安倍川餅の老舗
1804年創業の安倍川餅の老舗、石部屋(せきべや)は斎藤孝さんが子ども時代から通う店だ。「今でも静岡に行くたび安倍川餅を土産に買って帰る」そうだ。メニューは安倍川餅と、からみもちの2種類。からみもちはわさびじょうゆで食べる。いずれも1人前700円。「甘い物を食べれば辛いものも欲しくなる。両方注文するお客さんが多い」と石部屋十五代目の長田満さん。
江戸時代、東海道・安倍川の渡し場の茶屋で売っていた「安倍川餅」は諸国に知れ渡る名産品だった。そのころからずっとのれんを守り続ける店構えは、まるで時代劇に出てくる茶屋のよう。餅ゴメだけを原料に作るので、食べると餅本来のふんわりした食感が広がる。その分、日持ちがしにくく店売りのみ。通販はないから現地に行くしかない。
(木ノ内敏久)
[NIKKEIプラス1 2021年2月27日付]
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