ウォルター君は死亡時に体内に深刻な傷を受けていた。警察の取り調べで、バトラー氏は心臓マッサージを試みたときに傷つけたと思うと供述したが、信じてもらえなかった。そして、弁護士不在のまま、数時間尋問が続いた後、息子が泣きやまないので腹を殴ったという供述調書に署名してしまった。11カ月後、彼女は謀殺で有罪となり、死刑を宣告された。
バトラー氏の公選弁護団は、証人も呼ばなければ、バトラー氏を証言台に立たせて無実を訴えさせようともしなかった。
「白人の大人ばかりの法廷に、まだ子どもだった黒人の私が放り込まれました」と、今は「サブリナ・スミス」となった彼女は話す。「弁護人からは、おとなしく座って、陪審の方を見ていろと言われただけです。弁護団が、私の無罪を証明するために証人を呼ぶ気がないと気づき、もう自分の人生は終わりだと思いました」
バトラー氏の有罪と死刑宣告は1992年8月に一時的に執行停止にされ、再審理を命じられた。二審では、無報酬の優秀な弁護団がつき、冤罪が証明された。近所の住民がバトラー氏は必死で息子を助けようとしたと証言し、医学の専門家がウォルター君の体内の傷は心肺蘇生法によってついた可能性があると証言した。さらにウォルター君には腎臓の基礎疾患があり、それが突然死につながった可能性があることを示す証拠も提出された。バトラー氏は死刑囚監房で過ごした最初の2年半を含め、5年間の獄中生活の後、晴れて自由の身となった。
冤罪が証明された女性の元死刑囚は米国ではバトラー氏が初めてで、彼女の後にもう1人、無罪になった女性がいるだけだ。
そして、冤罪被害者でなくても首をかしげるような問題もある。誤判で有罪とされた人、とりわけ元死刑囚に対する補償を定めた法律はあるのだろうか。答えは「ノー」だ。州によっては多額の補償金を支払うことを定めた法律もあるが、多くの冤罪被害者はすずめの涙ほどしか、あるいはまったく補償金を受けられない。

(文 フィリップ・モリス、写真 マーティン・ショーラー、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2021年3月号の記事を再構成]