実習で垣間見た医療現場の実態

原さんの前途は洋々だった。だが、病院実習で垣間見る医療の現場は過酷だった。多くの先輩医師は寝る間も惜しみ懸命に働いているのに、妊婦のたらい回しや医療過誤が社会問題化し、「医療崩壊」を問う声が渦巻いた。

臨床医の限界を感じたことが転機になった

その頃、東大付属病院の病院長だった永井良三さん(現在は自治医科大学学長)は、「大学病院では有能な医師が次々医局を去っている」と嘆いていた。永井さんの弟子の一人だった循環器内科医だった武藤真祐さん(医療法人社団鉄祐会理事長)も、「社会に役立つ医療を追求したい」と医局を離れて06年にマッキンゼー・アンド・カンパニーに転じた。東大医学部出身の医師がマッキンゼーのコンサルタントになるのは初めてだった。

マッキンゼー側も「日本の最高の頭脳を欲しい」と東大医学部に向けた採用活動を始動した。原さんの心も揺さぶられた。06年に卒業後、国立国際医療研究センターで2年間初期臨床研修を始めたが、「このまま臨床医の道を進むべきか」と自問自答した。そんなとき、忘れられない光景を目にした。

「心不全の患者さんですが、15回ぐらい入退院を繰り返す方がいた。退院後の食事や体調管理がうまくいかないので、結局戻ってくる。『こんなはずじゃなかった』と自分の人生を後悔していた。でも、一臨床医では限界がある。すべての人が後悔しないで最後を迎える時代をつくりたいが、医療システム全体を変えないと対処できない」と考えるようになった。研修後にマッキンゼーに入社することも真剣に考えたが、周囲がアッと驚く選択に踏み切った。

内閣特別顧問の秘書に

政府の仕事に身を転じた。第1次安倍内閣時に黒川清内閣特別顧問(東大名誉教授)の政策担当の秘書になったのだ。黒川さんは元東大医学部教授で、日本学術会議会長も務め、医学を含め科学政策全般に関する首相の補佐役だった。「2年半、黒川先生のかばん持ちをやり、日本の保健医療など政策サポートに携わった」と話す。その後、実際の医療のソリューションを考えようと、米スタンフォード大学のビジネススクールに留学し、MBA(経営学修士)を取得した。

東大医学部の同期は約100人だが、エリート医の道を捨てた仲間は他にもいた。「実はうちの期は10人以上が、臨床や基礎研究の医師以外の道を選んだ。起業家や政治家、弁護士などになった人もいる。『何だ、この期は』と問題になったようだ」と明かす。

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遠隔医療解禁を好機に起業