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模倣ではない未来を創造 米先導のミニマルアート画家

名古屋画廊 中山真一

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才能や感性を鋭く問われる画家らアーティストは、若き日をどう過ごしたのか。ひとつの作品を手がかりにその歩みをたどる連載「青春のギャラリー」。ガイド役は名古屋画廊社長の中山真一さん(63)です。中山さんは「いつの世もアーティストが閉塞感を突破していく。自分を信じて先人を乗り越えていく生き方は、どんな若者にも道しるべを与えてくれるのではないか」と語ります。(前回は「師と同じ絵を描くな 仏で学んだ正統派のアカデミズム」

見るほどに不思議な絵だ。いや、「絵」ではないのかもしれない。巨大な長方形のキャンバスに赤いアクリル絵の具が均一にぬられている。鮮やかな赤。けっして筆触(タッチ)を見せようとはしていない。左右2枚のキャンバスの接合によってできた画面中央の垂直の線にしても、かろうじてこれが「絵」であることを表しているだけだ。それにしても、目が釘(くぎ)づけになってしまうのはなぜだろう。なにか心地よい緊張をおぼえてくる。少し知的になれたような自分が。見ていると、より自分自身になれるような気がする。それも将来の自分に。これはアートなのではないか。これこそが、アート以外をそぎ落としたアートそのものなのではないか。

この作品《無題》(1961年、アクリル・キャンバス)の作者である桑山忠明(くわやま・ただあき)は、1932年(昭和7年)に名古屋市大須で生まれた。9人きょうだいの7番目。父親は神社専門の建設会社を経営していた。高校時代、美術部に所属するとともに、たしなみのようにして水墨画家・朝見香城(あさみ・こうじょう)のもとに週1回かよう。新制となっていた東京芸術大学(旧・東京美術学校)日本画科に、芸大進学反対の両親を押しきるかたちで一浪して入学。名古屋市出身で初の同大学合格者として地元の新聞で記事になった。実技も学科も一番で合格していたので、教官陣や上級生らから一目おかれることに。入学前は鉛筆によるデッサンしか知らなかった。同科入学者のなかでひとりだけ木炭や日本画の顔料を初めて見る。大学には毎日かよい上級生たちとも親しくなっていった。ただ、保守的な教官陣からなる「体制」のなか、桑山にとってけっきょく日本的な「組織」とはどういうものなのかを思い知らされるばかりの大学生活4年間となる。

自分は日本ではダメだ

1年生のとき、同科に風変わりな同級生Iがいた。入学後3年間、病気で休学していたため、本来4年生のはずが同級生に。Iはその間の図書館がよいで相当に進んだ考え方のもち主となっており、ピカソやマチスの画業などを桑山に教えて刺激しつづけた。桑山はとくに、抽象絵画の源流となったピカソのキュビスム(立体派)に関心をふかめる。大学の図書館に行けばそうした画集はいくらもあったはずだが、日本画科の教官陣の本音としてはそんなものに興味をもってほしくなかったか。在学中の昭和20年代後半といえば、戦前の画壇に芽ばえていた前衛日本画の伝統が花ひらく時代ではあったものの、アカデミズムの牙城たる東京芸大にはまったく入りこむ余地がなかったようだ。桑山は大学では不本意ながらも、ただただ教官陣の指導にしたがう他なかった。在学中は個展はもちろんグループ展さえ禁止の時代。反抗的な学生には「放校処分」がまちうけていた。

Iの両親はともにデザイナーで家庭はたいそう裕福であった。週末はいつも目黒にあるIの家にご馳走(ちそう)にあがる。両親が所有する荻窪の土地に、二人のためアトリエまで新築してもらった。新しいアトリエで桑山はキュビスムに影響をうけた制作などをする。教官陣に知られぬようにと思うばかりであった。それでも、優等生の桑山がそのコースをふみはずしそうだと気づいた大学側は、なんとIを桑山煽動(せんどう)のカドで放校処分にふみきってしまう。自分は日本ではダメだ。日本ではどこまでいっても組織の和、すなわち学校や会派の問題になってしまう。海外、それもアートの最前線たるニューヨークへ行きたい。思いがつのった。日本画科で2学年後輩の婚約者が卒業するのを待って、なんとしてもニューヨークに行こう。卒業後の2年間は繊維関係の会社でレースのデザインの仕事をして渡航費用をかせいだ。

当時の日本人画学生は、留学生ビザがなければニューヨークに事実上いけず、新郎新婦そろってアート・スチューデンツ・リーグ(ニューヨーク美術学校)への入学を志望する。東京のアメリカ大使館での移住審査では、大使からアートを志すならなぜパリを目ざさないのか、とけげんな顔で尋問をうけた。桑山は、ヨーロッパにはもうアートはない、抽象表現主義などのアメリカ、それもニューヨークにしか行きたくないとこたえる。アメリカには経済力もあり、その中心地であるニューヨークは今後いっそう芸術の都となっていく。時代の最先端に身をおいて活動をしていきたい。堂々とそう述べてビザを取得した。

1958年(昭和33年)、横浜港から南米行きの移民船に夫婦でのりこみ、ロサンゼルスで下船。大陸を横断するバスでニューヨークへと到着した。当初の1カ月は、個展開催のため日本に一時帰国していた抽象画家・岡田謙三のアパートに住まわせてもらう。言葉に不自由しながらも多くのひとの親切にめぐまれた。美術学校ちかくにニューヨーク近代美術館もあり、よく通う。自国の同時代アートもたくさん展示されていた。当時、ジャクソン・ポロックやマーク・ロスコらによる抽象表現主義が全盛期をすぎ、アメリカでは次代のアートがさかんに模索されている。芸術の都の地位をパリから奪っていたニューヨークからすれば、次代のアートもひきつづきニューヨークで開花させなければならなかった。

ほどなくアメリカ現代美術は「黄金の60年代」をむかえる。大衆文化をだいたんに取りこむポップアートなどに先行し、筆のタッチや色数など造形要素を極限までそぎ落とそうとする純抽象的なミニマルアート(当初まだその呼称はなく、桑山は「ピュアアート」としていた)の運動が勃興した。抽象モダニズムの究極として、なんら再現することも連想させることもない、純粋な視覚というものを表現しようとする試みである。桑山は、その影響をうけたというより、親友のドナルド・ジャッドやダン・フレイヴィンらとともに、その真に新しいアートをみずから開拓していった。もともと美術批評家であったジャッドにもっとも影響を与えたのは桑山だと、今では定説になりつつある。

説明のたぐいは何もいらない

当初は日本画の顔料の使用しか知らず、それを使ったミニマル作品を制作していたものの、やがてキャンバスにアクリル絵の具で描くようになった。近所に住み親しくしていた現代美術作家のサム・フランシスのすすめである。それにより1961年(昭和36年)、いまだかつて人類が見たこともないような本作品《無題》が誕生した。ニューヨーク到着後3年目、29歳のこと。60年代の幕開け早々に、未来をきりひらく圧倒的なアートが若き桑山の制作によって出現したのである。同年の初個展でたちまちその評価を得て、さすがアメリカ、ある美術館の館長が初日に大作の購入を決めてくれた。

「ポロックやロスコらは偉大だけれども、乗りこえていかねばならない存在だと思っていた。ポロックらはもう過去のひとではなかったか。日本の作家はみな同じようなことをしている。模倣がアートだと思っているようだが、それはちがう。アートは、模倣ではなくフューチャー(未来)をつくらねばならない。過去になかったものをつくるのがアートのはず。一見して、これなんだろうと思うような。自分がフューチャーをつくらねば。そして当時それは、抽象表現主義の行き方とは反対に、ミニマルアートではなかったか。アートに説明のたぐいは何もいらない。アートの核心のみを表す制作をしていこうと思った」

その後ミニマルアートは桑山の輝かしい未来をも照らしだす。70年代以降もシルバーやゴールドの単色でそのさらなる展開をしめした。21世紀になっても、アルミニウムやチタンを使って、やはりだれも見たこともないようなアートで私たちを未来へと連れていってくれるかのようだ。桑山は89歳のこんにちに至るまでも、年齢とは無縁な、というか年齢とともに、その年代でなければ出せぬ何かを加えながら、時代をこえる永遠に新しいアートを創造しつづけてきたのである。(敬称略)

中山真一(なかやま・しんいち)
1958年(昭和33年)、名古屋市生まれ。早稲田大学商学部卒。42年に画商を始め61年に名古屋画廊を開いた父の一男さんや、母のとし子さんと共に作家のアトリエ訪問を重ね、早大在学中から美術史家の坂崎乙郎教授の指導も受けた。2000年に同画廊の社長に就任。17年、東御市梅野記念絵画館(長野県東御市)が美術品研究の功労者に贈る木雨(もくう)賞を受けた。各地の公民館などで郷土ゆかりの作品を紹介する移動美術展も10年余り続けている。著書に「愛知洋画壇物語」(風媒社)など。

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