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青春のギャラリー

模倣ではない未来を創造 米先導のミニマルアート画家名古屋画廊 中山真一

2021/3/12

青春のギャラリー

桑山忠明《無題》(1961年、アクリル・キャンバス、254・0×204・5センチメートル、高松市美術館蔵)
才能や感性を鋭く問われる画家らアーティストは、若き日をどう過ごしたのか。ひとつの作品を手がかりにその歩みをたどる連載「青春のギャラリー」。ガイド役は名古屋画廊社長の中山真一さん(63)です。中山さんは「いつの世もアーティストが閉塞感を突破していく。自分を信じて先人を乗り越えていく生き方は、どんな若者にも道しるべを与えてくれるのではないか」と語ります。(前回は「師と同じ絵を描くな 仏で学んだ正統派のアカデミズム」

見るほどに不思議な絵だ。いや、「絵」ではないのかもしれない。巨大な長方形のキャンバスに赤いアクリル絵の具が均一にぬられている。鮮やかな赤。けっして筆触(タッチ)を見せようとはしていない。左右2枚のキャンバスの接合によってできた画面中央の垂直の線にしても、かろうじてこれが「絵」であることを表しているだけだ。それにしても、目が釘(くぎ)づけになってしまうのはなぜだろう。なにか心地よい緊張をおぼえてくる。少し知的になれたような自分が。見ていると、より自分自身になれるような気がする。それも将来の自分に。これはアートなのではないか。これこそが、アート以外をそぎ落としたアートそのものなのではないか。

この作品《無題》(1961年、アクリル・キャンバス)の作者である桑山忠明(くわやま・ただあき)は、1932年(昭和7年)に名古屋市大須で生まれた。9人きょうだいの7番目。父親は神社専門の建設会社を経営していた。高校時代、美術部に所属するとともに、たしなみのようにして水墨画家・朝見香城(あさみ・こうじょう)のもとに週1回かよう。新制となっていた東京芸術大学(旧・東京美術学校)日本画科に、芸大進学反対の両親を押しきるかたちで一浪して入学。名古屋市出身で初の同大学合格者として地元の新聞で記事になった。実技も学科も一番で合格していたので、教官陣や上級生らから一目おかれることに。入学前は鉛筆によるデッサンしか知らなかった。同科入学者のなかでひとりだけ木炭や日本画の顔料を初めて見る。大学には毎日かよい上級生たちとも親しくなっていった。ただ、保守的な教官陣からなる「体制」のなか、桑山にとってけっきょく日本的な「組織」とはどういうものなのかを思い知らされるばかりの大学生活4年間となる。

自分は日本ではダメだ

1年生のとき、同科に風変わりな同級生Iがいた。入学後3年間、病気で休学していたため、本来4年生のはずが同級生に。Iはその間の図書館がよいで相当に進んだ考え方のもち主となっており、ピカソやマチスの画業などを桑山に教えて刺激しつづけた。桑山はとくに、抽象絵画の源流となったピカソのキュビスム(立体派)に関心をふかめる。大学の図書館に行けばそうした画集はいくらもあったはずだが、日本画科の教官陣の本音としてはそんなものに興味をもってほしくなかったか。在学中の昭和20年代後半といえば、戦前の画壇に芽ばえていた前衛日本画の伝統が花ひらく時代ではあったものの、アカデミズムの牙城たる東京芸大にはまったく入りこむ余地がなかったようだ。桑山は大学では不本意ながらも、ただただ教官陣の指導にしたがう他なかった。在学中は個展はもちろんグループ展さえ禁止の時代。反抗的な学生には「放校処分」がまちうけていた。

Iの両親はともにデザイナーで家庭はたいそう裕福であった。週末はいつも目黒にあるIの家にご馳走(ちそう)にあがる。両親が所有する荻窪の土地に、二人のためアトリエまで新築してもらった。新しいアトリエで桑山はキュビスムに影響をうけた制作などをする。教官陣に知られぬようにと思うばかりであった。それでも、優等生の桑山がそのコースをふみはずしそうだと気づいた大学側は、なんとIを桑山煽動(せんどう)のカドで放校処分にふみきってしまう。自分は日本ではダメだ。日本ではどこまでいっても組織の和、すなわち学校や会派の問題になってしまう。海外、それもアートの最前線たるニューヨークへ行きたい。思いがつのった。日本画科で2学年後輩の婚約者が卒業するのを待って、なんとしてもニューヨークに行こう。卒業後の2年間は繊維関係の会社でレースのデザインの仕事をして渡航費用をかせいだ。

当時の日本人画学生は、留学生ビザがなければニューヨークに事実上いけず、新郎新婦そろってアート・スチューデンツ・リーグ(ニューヨーク美術学校)への入学を志望する。東京のアメリカ大使館での移住審査では、大使からアートを志すならなぜパリを目ざさないのか、とけげんな顔で尋問をうけた。桑山は、ヨーロッパにはもうアートはない、抽象表現主義などのアメリカ、それもニューヨークにしか行きたくないとこたえる。アメリカには経済力もあり、その中心地であるニューヨークは今後いっそう芸術の都となっていく。時代の最先端に身をおいて活動をしていきたい。堂々とそう述べてビザを取得した。

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