笑いの「文法」が変化 古くなったボーイズクラブ意識

かなり昔には漫才でもこういった「高低差」を使った茶化(ちゃか)しが常套手段だった時代があった。体型や出身地、ファッションなどで、自分と相方とのずれを強調し、違いをからかう。1980年代の漫才ブームで人気を博したコンビのネタには外見や地域、センスをあげつらう手口がみられた。

しかし、約40年をへた今では「誰も傷つけない笑い」が支持を得るようになってきた。漫才コンビの「ぺこぱ」は代表格といわれる。ダイバーシティー(多様性)が重んじられるようになり、「みんなちがって みんないい」の意識が広がる中、違いを足場に用いる笑いは支持を得にくくなっている。

全員が互いに違って構わないというか、違って当たり前なのだから、違いを笑う理由もないわけだ。ましてや、そこに差別的なニュアンスが混じるのなら、笑えないどころか、非難の的になりかねない。

違いを笑う手法は、「ねぇ、みなさんと違っていて変でしょ」と同調の笑いを誘いかける相手になる聞き手の存在が前提になる。都市部の住人を聞き手に位置づけて、他者である地方・田舎を笑うといった構図だ。

この場合、「ご同慶」の聞き手は笑いの共犯者的な役割を与えられる。差別やいじめと通じる構図であり、既にこの笑い方そのものが今の人権・平等意識となじまなくなっている。衆を頼んで同調を強いるハラスメントを許さない時代に私たちは住んでいるのだ。

同じ目標を掲げ、同じような振る舞いを好む集団は、毛色の異なる者を攻撃して、メンバーの連帯感を高めようとするところがある。いわゆる「ボーイズクラブ」(男性が同質性を重んじて構成してきた、排他性を帯びた旧来型組織)の発想だ。

多数派の立場が強い集団では、少数派をこうした攻撃の標的に選ぶ傾向があり、先の「女性がたくさん入っている理事会の会議も~」という発言は、多数を占める男性の聞き手を主に意識していたようだ。女性を難じる発言を使って、男性メンバーに笑い交じりの共感を促そうとしたともみえる。

だが、森氏の狙いは必ずしも成功しなかったのではないか。この種の笑い方はあまりにも古い。「くすくす」や「にやにや」はあったのかもしれないが、「余人をもって代えがたい」と考えるような人たちにすら、森氏の笑いのセンスは響いていなかったようにみえる。

他者を踏み台に笑いを生み出すような「これ、笑えるでしょ」とでも言いたげな態度に乗る人は少なくなっている。古参の政治家はここがわかっていない。笑いの文法はとっくに書き換わっているのだ。

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「いや、冗談、冗談」はもう通らない
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