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メンバー4人はレコーディング期間にも自分の仕事を抱え、スタジオに全員がそろうことは少なくなり、それぞれがみずからの曲をセルフ・プロデュースするようになっていく。サウンド作りに関するメンバー間の意見の相違も顕著となり、現場で衝突が起きることも増えていった。そんな雰囲気にいたたまれなくなったエンジニアの(マーティンの片腕でサウンド作りの要だった)ジェフ・エメリックが7月16日に降板。続いて8月22日にはリンゴがポールと衝突しビートルズ脱退を告げてスタジオを出てしまう。メンバーの説得でリンゴは9月3日にセッションに復帰するが、その日に今度はマーティンがメンバーの勝手気ままな行動に嫌気がさし、突然休暇を取り10月1日までセッションを離れる事態が発生。プロデューサー不在のままレコーディングが続けられる。

こうしたなか完成したアルバム『ザ・ビートルズ』は68年11月に2枚組で発売される。幅広い音楽性を持つ作品として高い評価を受けるが、この時点で「ビートルズ」というチームは崩壊の淵に立たされていたのだ。

ゲット・バック・プロジェクト起動

グループのありように危機感を抱いたポールは、アルバム『ザ・ビートルズ』発売前後にグループの一体感を取り戻すために「ライブ活動を再開しよう」とメンバーに呼びかける。だがこれは一笑に付され、その代わりに「ライブバンドの原点にゲット・バック」することを掲げて、テレビ番組でビートルズらしい特別なライブを披露するというプロジェクトを起動する。

4人は69年1月2日に新曲を持ち寄ってトゥイッケナム・フィルム・スタジオでリハーサルを開始。ライブ開催までの過程をテレビ・ドキュメンタリーにすることも想定して、セッションのようすはすべて録音・録画されることになった。こうして後に「ゲット・バック・セッション」と呼ばれることになるプロジェクトが始まるのだ。

テレビ番組の監督には、ビートルズの「ヘイ・ジュード」などのプロモーション・クリップで手腕を発揮していたマイケル・リンゼイ=ホッグを抜てき。撮影監督にトニー・リッチモンド、レコーディング・エンジニアにはグリン・ジョンズが起用された(グリン・ジョンズはのちにサウンド・プロデューサーを兼ねることになる)。マネジャーは不在のままで、ジョージ・マーティンもときおり顔は出すものの重要な役割を担っていたわけではない。つまりメンバー4人は、マネジャーとプロデューサーという両輪を欠いたまま新たなチームを組織し、メンバーそれぞれの事情や思惑を抱えながらこのプロジェクトを開始したのだ。

ゲット・バック・セッションは、69年1月2日から31日までほぼ1カ月にわたって続き、前半のトゥイッケナム・フィルム・スタジオでのセッションと後半のアップル・スタジオでのセッションに大きく分けることができる。

本稿の中編と後編では、70年5月に映画とアルバム『レット・イット・ビー』として発表されるまでを5つのステージに分け、その実態をひもときながら検証する。そのなかで、旧作映画『レット・イット・ビー』がいかにして生まれビートルズ解散へのドキュメンタリーと見なされてしまったのか、旧作映画や新作映画『ザ・ビートルズ:Get Back』の先行特別映像は、セッションの実態をどのように反映させているのかという2点を明らかにしていこう。

中編「ビートルズの新作映画 旧作との違い、特別映像で検証」>>

ひろた・かんじ 1952年愛媛県松山市生まれ長崎育ち。山梨県立大学講師などを経て,作家・現代史研究家。日本文芸家協会会員。『大人のロック!』(日経BP/ビートルズ関連)、文芸別冊(河出書房新社/ロック関連)、ムック版『MUSIC LIFE』(シンコーミュージック/ビートルズ関連)などの執筆・編集・監修などを担当。主な著書に『ロック・クロニクル/現代史のなかのロックンロール(増補改訂版)』(河出書房新社)などがある。