フィロコフィアは2017年設立。「日本を代表するコーヒーカンパニー」を目指し、事業の選択と集中に取り組んでいる

オーナーの古橋伯章さんは人材育成に定評がある。粕谷さんも中米の産地に連れて行ってもらった。農園で懸命に働く人々の姿を見て「これは適当にやる仕事じゃない、真剣に取り組もう、と思ったんです」。この時、コーヒーの背景にあるストーリーを多くの人に伝えたい、との思いが芽生えた。腕を上げ、発信力を高めたい。おのずと競技会への挑戦が視野に入った。

業界に足を踏み入れてからWBC王者になるまでわずか3年。どんな鍛錬をしたのか。

「プロとして最も重要なのは、何がおいしい味かを知ること。だから味覚トレーニングに最も時間をかけました。絶対的な味覚を持つ古橋さんがいたのは運が良かった。2人で徹底的に味を擦り合わせ、世界で主流の味も覚え込んだ」

WBCに挑むにあたり、粕谷さんは「4:6メソッド」という独自のセオリーを提唱した。抽出に使うお湯の総量の40%をまず2回に分けて投じて味わいをコントロールし、3投目以降の60%で濃度を調整する、という手法だ。念頭に置いたのは「誰でもおいしく淹れられるシンプルなセオリー」。感覚だけでなく、ロジカルと普遍性を重視。おいしさの「再現性」に重きを置くのはデジタル出身ゆえか。このメソッドにも「広く伝える」という信条が貫かれている。

共同経営者の梶真佐巳さん(右)は行動力にあふれ、ホスピタリティの本質を知るコーヒーマン。粕谷さんと互いの持ち味を生かしながら、豊かな文化の発信にいそしむ

店がある船橋市も「伝える」活動の主要な舞台だ。市内の東葉高校の学生向けセミナーでコーヒーの魅力を語り、地元の店を巻き込んだフェスティバルなどを開く「船橋コーヒータウン化計画」の拡充に精を出す。これらの発起人がフィロコフィアの共同経営者である梶真佐巳さん。「ドトールコーヒーショップ船橋駅南口店」をフランチャイズオーナーとして全国屈指の繁盛店に育て上げたすご腕だ。フィロコフィアも梶さんがかねて知り合いだった粕谷さんに声をかけて創業した。ともにコーヒーの味と技術、ビジネスを追究する、かけがえのない盟友だ。

梶さんと新たな事業展開を模索する傍ら、粕谷さんは「スペシャルティの豆の最適な深煎り」の味を探り続けている。既成概念にとらわれない、試行錯誤の繰り返し。新ドリッパーの開発も同様だ。もちろん不安もある。「どれだけネルについて詳しく知っているんだ? とか言う人もいそうで」

実は粕谷さんはWBC優勝の2年後、バリスタの競技会にも挑戦した。

「一度世界王者になったんだから、別の王者を目指す必要はない、とも言われました。でも、常に知識と技術はアップデートすべき、という心構えを示す使命感もあった」

結果的に日本大会の準決勝で敗退した。「でも、やっぱり挑戦して良かった。味の部分は単に技術不足。プレゼンテーションは褒められました。『より良く』は僕のキーワードの1つ。変わり続けることに意義がある」

現在地にとどまっていてはイノベーションは生まれない。もとはといえば、今ある抽出器具も、焙煎機も、みな先人たちが試行錯誤の末に生み出した。コーヒーは、創意工夫を楽しむ飲み物なのだ。その工夫の種は、日本にもある。広く伝える価値のある日本のコーヒー文化とは、決して守旧ではなく、新しい味を探る、時にラジカルな情熱だ。

(名出晃)

「食の達人コラム」の記事一覧はこちら