広い宴会場に足を踏み入れると果てしなく円卓が並んでいる。しっかり間隔を空けられた席につくと、目の前にはペットボトルの水がぽつんと1本。飲食の提供はそれだけ。水以外のソフトドリンクなし。アルコールなし。料理、なし。この段階ですごい!

開宴して主役の新真打ちが堂々入場する際も、掛け声は禁止なので拍手のみ。「おおー!」とか「待ってました!」「日本一ッ!」なんて、こんなにも叫びたかったものかと改めて自分を再発見しました。ずいぶんやかましいヤツだったんだね。

ステージ上には新真打ち。お歴々のスピーチがあって、恒例の大きな酒だるでの鏡開きです。会場に詰め掛けた550人が声をそろえて一斉に「よいしょ、よいしょ、よいしょー!」と心の中だけでさけぶという。わはは。

続く乾杯では円楽師匠の音頭で、なんと「エア乾杯」。これも初めて。グラスも升も持たずに無言で「(かんぱーい)」。はたから見たら、ただ全員立ち上がって無言で拍手して座っただけですよ。それでもなんとなく乾杯した達成感はあるんです。不思議ですねえ。

私はここで古典落語の「だくだく」を思い出しました。物が何ひとつない長屋の壁一面に、「あるつもり」になって豪華な家財道具の絵を描いたというふざけた話。知らずに盗みに入った泥棒が面白がって「高そうな着物を盗んだつもり。大きな風呂敷に包んだつもり。どっこいしょと背負ったつもり」。そこへ、目が覚めた住人が「がばっと起きて、家宝の槍(やり)を構えたつもり。ぐさーっと刺したつもり」。泥棒が「うーん。血がだくだくと出たつもり」。

ナイツのお二人による軽妙な司会の中、会は進みます。マジックショー、漫才(ここもナイツ)、獅子舞と、余興があって大いに笑って楽しんで、新真打ち桂宮治師匠の涙ながらのあいさつに一同、心を震わせて。ひときわ豪華な引き出物をお料理や飲み物とともに頂いてお開きになりました。この披露宴、テークアウト式だったのね。

歓談の時間がなくて他の出席者とお話ができなかったのは心残りだけど、それもやはり対策なのでしょう。お開きになった後もテーブルごとの分散式だったから全員が退場するまで40~50分。対策は、完璧だ。

厳しい制約の中での、立派なお披露目でした。なるほど、やればできるんですねえ。お見事! 宮治師匠! にっぽんいち!!!

そうそう。披露目が中止になった立川志の春師匠。さっき本人に確認したら、この先改めて披露パーティーを催すつもりだと力強く言ってました。たとえ来年になったとしても、と。その意気や良し!

落語会やコンサート、なぜ8時まで?

最後に愚痴です。

都内や大阪では20年秋ころからわずかずつ復活しつつあった落語会などのイベントが、2度目の緊急事態宣言を境に雪崩をうつように中止になっています。緩和されかけた客席数が再び減らされるだけならまだしも、とりわけ決定的なのは「公演時間は飲食店と同じ夜の8時まで」と制限された点。なぜ? どこでどうやって決まった? 「8時」の必然性が分からない。

そもそも落語会やクラシックコンサートの場合、客席では飲食しないし声も出さないし、ずっとマスクもしたまま。換気もしているし、分散退場もしている。どこが危険なのやら教えてほしい。私は落語会でクラスターが出た例を知りません。

会の多くは夜7時開演です。「8時まで」ではとても成り立たないからとたくさんの落語会が中止の決断をした。収入を断たれながらも対策に協力しているのです。なのに飲食店と違って協力金は、ない。ひどすぎます。

落語会に対する「客席数と時間の制限」は、合理的に必要といえるのか。とにかく早急に検証してほしい。そして制限が妥当でないならば、即刻解除または緩和をしていただきたい。

落語家、悲鳴を上げるの巻でした。

皆さん、どうぞご無事で。ウイルスとストレスを上手にかわしつつ日々をお過ごしください。

立川談笑
1965年、東京都江東区で生まれる。高校時代は柔道で体を鍛え、早大法学部時代は六法全書で知識を蓄える。93年に立川談志に入門。立川談生を名乗る。96年に二ツ目昇進、2003年に談笑に改名、05年に真打ち昇進。近年は談志門下の四天王の一人に数えられる。古典落語をもとにブラックジョークを交えた改作に定評があり、十八番は「居酒屋」を改作した「イラサリマケー」など。

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