米国にある飢餓 貧困層支援するミネソタ州の外食業界

日経ナショナル ジオグラフィック社

ナショナルジオグラフィック日本版

生活困窮者に届けるサンドイッチを作るチャウガールズ・ケータリングの調理師ローザ・サンチェスさん(左)とドロレス・ヒダルゴさん(PHOTOGRAPH BY DAVID GUTTENFELDER)

新型コロナの拡大にともない、米国では貧困と食料問題がますます深刻になっている。ここではミネソタ州で増えている貧困層に、無料で食事を提供しようという取り組みを紹介する。

ミネアポリスとセントポールで活動するフードバンク「セカンドハーベスト・ハートランド」の最高経営責任者アリソン・オトゥール氏は、こう話す。「次から次へと危機に見舞われ、長年の間、隠れていた問題があらわになりました。この街の貧富の差は、全国的に見ても特にひどいです」

パンデミックで深刻化した飢餓問題

ミネソタ州には、「フォーチュン500」(米経済誌『フォーチュン』が年に1回、企業の総収入に基づいて全米上位500社をランキングしたリスト)に名を連ねる企業16社がオフィスを構えるが、ミネアポリス・セントポール都市圏には、街のいたるところにホームレスのテント村がある。

パンデミック(世界的大流行)が始まる前、毎日の食べ物を満足に手に入れられない人は11人に1人だとされていたが、それが今では8人に1人にまで増えている。街のフードパントリーの前には、無料の食料品を受け取りに来た人々の車が列をなし、交通渋滞を起こしている(一般に、フードバンクは外食産業などから寄付された余剰食品を広い倉庫に貯蔵してフードパントリーやホームレスシェルターなどに配布する。フードパントリーは町の商店のような小規模運営で、個人に直接食料を配布する)。セカンドハーベストでは、2020年3月中旬以降、食料の需要が30%増加したという。

サネー財団とその他のボランティア団体による食料配布イベントにやってきた自動車に、ボランティアと財団職員が食料を積み込む(PHOTOGRAPH BY DAVID GUTTENFELDER)

セカンドハーベストは、パンデミックで失業したシェフを雇い、温かい食事を作ってホームレスや共働き家庭などに届けるプロジェクト「ミネソタ・セントラル・キッチン」を立ち上げ、20年3月以降110万食を提供してきた。

現在、12の調理会社やケータリング会社がこのプロジェクトに協賛し、180人の失業者を雇い、本来であれば廃棄されるはずの余剰食品544トンを「救助」している。

ケータリング会社「チャウガールズ」の総料理長リズ・マレンさんは、以前から余剰食品の廃棄問題や飢餓の問題に関心を持っていた。昨年の3月中旬に新型コロナのために職場が閉鎖されると、セカンドハーベストで働く友人に電話をかけた。

「私の会社には広くて立派な調理場があるのに、今は使われていません。でも、きっとそれを必要としている人々がいるはずだと思ったのです。何かできることがあったら声をかけてほしいと、電話で伝えました」

これを受けて、セカンドハーベストの最高業務・プログラム責任者であるティエリ・イブリ氏は、オトゥール氏やレストラン関係者らと相談し、数日後にはチャウガールズでの食事作りが始まった。

マレンさんは他のレストランで余った食べ物を引き取り、手に入るものだけで創意工夫を凝らしたメニューを生み出している。

出来上がった食事は、ボランティアのグループが小分けにして弁当箱に詰め、必要としている人々のもとへ届ける。

ケータリング業界ではパンデミックの影響で多くの人が職を失ったが、チャウガールズでは現在約50人のシェフが働き、収入を得ている。マレンさんは、この食事を受け取る人々にとっては、これが1日で唯一の食事かもしれないと思いながら、日々働いている。

マレンさんの家からわずか3ブロック先にあったミネアポリスの警察署は、昨年夏の暴動で全焼した。当時、危険を感じたマレンさんは、子どもたちを祖父母の家に預け、夫とともに数日間家に閉じこもった。今度は自分の家が襲われるのではと恐れて、不安な夜を過ごした。

それでも自分は恵まれているほうだと、マレンさんは言う。近所の店が焼かれても、少し離れた店まで運転して行ける自動車があるが、それすら持っていない人々もいる。誰かが「自分のアパートを焼く人がいるなんて、正気だとは思えない」と言うのを聞くと、腹が立つという。きっとそんなことを言う人々は、社会の底辺で生きた経験がないのだろうと考えている。白人女性であるマレンさんは、昨年の夏に数日間怖い思いをしただけだが、黒人の人たちは毎日のように命の危険を感じながら生きているのだ。

マレンさんは、変わろうとする社会に積極的に関わっていきたいと願う。仕事をしていないときには、パンデミック後も貧しい人々へ食事を提供し続けるために何ができるかを考えているという。

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社会の底辺で生きるということ