玄関のドアを開けたらボウイ一家、姉は息子ゾウイと「キデイランド」へ

――仕事とプライベートを明確に分けていたんですね。

「ええ、父は仕事のオンとオフのスイッチをはっきりと切り替えていました。子供の頃、偶然、父の会社に立ち寄ったことがあったんですが、父は私を見るなり、ハトが豆鉄砲を食らったようにポカンと驚いた顔をしていたのを覚えています。『なぜ自分の娘が会社にいるんだ?』と思ったんでしょうね。仕事をしているときの父の顔は少し怖い印象でした。だって、家庭での柔和な父の顔しか知りませんから……。でも怖いと言っても、決して乱暴ではありませんよ。いつも自分のことは『私』や『僕』でしたし、相手のことは『君』や『あなた』で、絶対に『おまえ』だなんて呼ばなかった」

舞台衣装をフィッティングする山本寛斎さん(右)とデビッド・ボウイ(撮影は鋤田正義さん)

――寛斎さんは世界的ロックスター、デビッド・ボウイとも親友でした。

「コンサート衣装を担当したのをきっかけに親友になったようです。ボウイが衣装をフィッティングするために来日すると、息子のゾウイ(本名=ダンカン・ゾウイ・ヘイウッド・ジョーンズ。1971年生まれでCMディレクターや映画監督として活躍)ら家族を一緒に連れて、私の自宅によく遊びに来たそうです。玄関のチャイムが鳴ったのでドアを開けたら、ボウイ一家が立っていたので驚いたなんて話を、後に母から聞きました。私はまだ幼かったのではっきりした記憶が残っていませんが、ゾウイとほぼ同い年の姉がよく一緒に遊んだようです。2人を東京・原宿の玩具雑貨店キデイランドに遊びに行かせたこともあったらしい。そんな家族ぐるみのプライベートな交流が続きました」

偉大な創造者が身近にいて感謝、第二の人生の新たな出発点

女優とプロデューサー、そして子育ての3本立てで新たな人生に挑戦するという

――自分の性格で、寛斎さんの娘だなと感じることはありますか。

「明るさやユーモアは間違いなく父からの遺伝でしょうね。よく笑うし、父ほど自画自賛ではないけど、私も褒められて伸びるタイプ。ただ、迷いながら進むのは良くないという意識が強いので、私の方が少し慎重すぎるかな? そこが嫌なんですけどね……。でも父は創造者として才能にあふれていたし、人生の先輩としても偉大な存在ですから、身近で過ごすことができて、本当に恵まれた環境だったと心から感謝しています」

「今後は女優とプロデューサー、子育ての3本立てで新たな人生に挑戦するつもりです。残念ながら父は亡くなってしまいましたが、父が挑戦し続ける後ろ姿をずっと見てきましたから、私も興味が持てる仕事を自分のやり方とペースで楽しみながら、世の中に元気や情熱を伝えてゆきたい。そんな第二の人生の新たな出発点に立っている心境です」

(聞き手は編集委員 小林明)