父の名を隠して受けたオーディション、人の感情を動かしたい

――だから女優になったわけですね。

「そうです。『将来はデザイナーの仕事を継ぐんでしょう』とか、女優デビューした後でさえ『お父さんの力をもっと利用すればいいよ』とか言ってくる人もいましたが、自分としてはそれに強い反発心を抱いていた。やはり父と関係のない世界で自分の力を試してみたいじゃないですか。そういう仕事って、世襲のように単純に引き継ぐものではないと思うんです」

「女優としてデビュー作となる最初の映画オーディションも、父の名前は一切出さずに受けました。選考のための書類には母の名前を書いただけ。きっと、母子家庭だと思われたかもしれませんね。家の職業を聞かれても、『洋服屋です』と答えただけでごまかしていた。とにかく、自分のポテンシャルがどこまであるのかを知りたかったんです。女優の道を志したのは、自分と同世代がテレビで活躍しているのを見て、興味を持ったから。『人の感情を動かす仕事って面白そうだし、何だか自分に向いているかも』と感じたんです」

親子同士のなれ合いは禁物、社会でもまれて人は育つ

――寛斎さんはどんな反応でしたか。

「父も私と同じように『親子同士のなれ合いは良くない』という立場。もっと社会に出てもまれて、それを乗り越えてこそ人は育つという意識が強かったと思います。だから、私が父の会社でアルバイトすることも認めようとはしなかった。ロンドン、パリ、ニューヨークなど海外で開いた父のファッションショーに連れて行ってもらったことも、結局、一度もありません」

モルディブでヤシの木にまたがる山本未來さんと寛斎さん(1985年)

「家族で一緒に海外に行くのはむしろ途上国ばかり。新たなエネルギーに満ちていて、創造意欲をかき立てられたんでしょうね。私が初めて行った海外旅行はアフガニスタン。まだ2歳だった私をベビーカーに乗せ、砂漠をバックパッカーのように旅行したそうです。ケニアのマサイ人を見に行った写真も残っています。リゾート地としてそれほど開発されていなかったインドネシアやモルディブなどにもよく行きました」

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玄関のドアを開けたらボウイ一家、姉は息子ゾウイと「