覚醒シグナルの正体は単一の生体現象ではない。幾つか例を挙げよう。日中時間帯には脳内で覚醒を促す多数の神経伝達物質、例えばヒスタミン、ノルアドレナリン、アセチルコリンなどの活動が活発になる。また、覚醒度は脳の温度とともに高まるが、これは明け方に最も低く、日中を通して高まり、正に睡眠禁止ゾーンで一日の最高温度に至る。強い覚醒作用をもつ副腎皮質ホルモンも夜間は低く抑えられ、起床時刻に先駆けて一気に分泌が始まり、午前中にかけて最も多く分泌される。
徹夜自体に気分を持ち上げる効果も
このように多数の生体機能が腕時計の指令で連動して働くことで、起床直後から眠気を解消し、日中から睡眠禁止ゾーンにかけてハイパフォーマンスを発揮できるよう後方支援してくれているのだ。
睡眠禁止ゾーン終了後には覚醒シグナルがオフになるため、徹夜タイムに突入すると一気に眠気が強まるが、翌朝は再び腕時計によって再度覚醒シグナルが高まる。これが徹夜明けにもかかわらず眠気が一時的に解消されるメカニズムなのである。
徹夜明けに眠気が軽くなるだけではなく、時には気分がハイになることさえある。実はこの気分の高揚感は眠気が取れたことだけが理由ではない。古くから知られているうつ病の治療の一つに断眠療法という治療があり、徹夜自体に気分を持ち上げる効果があることが証明されている。ここら辺は「帰ってきた断眠療法―眠らずにうつ病を治す」で紹介したので興味があればご一読いただきたい。
とはいえ、腕時計による覚醒シグナルは徹夜明けの眠気に対抗する急場しのぎにすぎない。徹夜でため込んだ砂時計の砂を除去するには睡眠を取るしかないからである。
実際、徹夜したときのパフォーマンスの変動グラフを見ても、明け方よりは回復しているとは言え、しっかり眠った後の同時刻のそれと比べて低いことが分かる。徹夜の時の眠気解消に運動するなど気分転換をすれば一時的に眠気は取れるが、残念ながらパフォーマンスは回復しないことも明らかになっている。やむを得ない事情があるとき以外は徹夜仕事や一夜漬けは避けた方が無難だろう。
秋田県生まれ。医学博士。秋田大学大学院医学系研究科精神科学講座 教授。日本睡眠学会理事、日本時間生物学会理事など各種学会の理事や評議員のほか、睡眠障害に関する厚生労働省研究班の主任研究員などを務めている。『8時間睡眠のウソ。日本人の眠り、8つの新常識』(川端裕人氏と共著、日経BP社)、『睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン』(編著、じほう)などの著書がある。
(日経ナショナル ジオグラフィック社)
[Webナショジオ 2020年11月12日付の記事を再構成]