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土岐泰之・ユニファCEO

土岐泰之・ユニファCEO

デジタル技術を活用した保育支援サービスを手掛けるユニファ(東京・千代田)最高経営責任者(CEO)の土岐泰之氏(40)。九州の進学校、青雲中学・高校(長崎県時津町)を卒業後に九州大学に進学。住友商事などを経て同社を起業した。青雲や九大で起業につながる体験や仲間と出会い、子育て支援のための社会インフラづくりに挑む。

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青雲高校に進学すると、新たに空手部に入部した。

青雲は新興の中高一貫校ですが、柔道や剣道など武道の盛んな学校。空手にも力を入れ始めたので、中学まで今ひとつパッとしなかった自分を変えたいと、入部したのです。ここで小楠宏一という熱血漢の教師と出会いました。数学の先生でしたが、空手に情熱を燃やしていて、猛特訓を受けました。

高2のとき時に親が転勤したので、青雲の寮に入り、勉強以上に部活に燃えました。主将になり、50人ほどの部員を束ねました。リーダーシップに目覚め、時には厳しく指導に当たりました。「お前ら、ケンカするなよ。ルールを守れ、廃部になるからな」などと練習後には必ず部員の前で「訓示」を垂れました。30分ぐらいクドクド話すので、部員は面倒くさい男だと思ったでしょうね(笑)。

ケンカはするなと指導しておきながら、夜間になると、寮で「ストリートファイト」に興じていました。最大の見せ場は同級生で、柔道部主将だった初瀬勇輔くんとの死闘です。他の寮生もこぞって見物に来ました。彼は柔道が強く、頭も良かった。東京大学を目指していましたが、実は、卒業後に両目の視力を失い、視覚障害者となりました。しかし、メンタルも強かった。2008年に北京パラリンピックに柔道の日本代表として出場を果たしました。現在は障害者就労支援のユニバーサルスタイルなど複数の会社を起業しています。私の起業の時にも相談にも乗ってもらったし、今も飲み仲間です。

この寮生活では次々一生の仲間を得ました。医学部志望の蒲池健一くんも親友。彼は福岡県を中心とする大手医療法人グループの御曹司だった。帰省して寮に戻ってくると、20人分ぐらいの豪華弁当を持って帰ってきた。当時は「カマ弁」と呼んで、みんなワクワクしながらその弁当を待っていました。彼はその後、医者になりましたが、その法人グループは外食産業にも乗り出し、同様の名称の弁当も提供しているというので驚きました。

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