焼き肉ロースターで焼くのは大トロ 築地場外の異色店
「肉のない焼肉店」があると聞いた。「なんだそりゃ?」と思いながら調べると、人気すし店が店で扱う新鮮な魚介類を焼き肉のように焼いて提供する店のようだ。値段は少し高そうだが、行かない手はない。
店名は「焼うお いし川」。
訪店したのは、日曜日の17時半。開店直後だ。実は平日に予約を入れたが、満席と言われ、日曜日になった。店がある築地場外はインバウンド需要が消滅してしまったため、夕方までには店じまいしているところが多く、周囲はまっ暗だったが、「いし川」は明かりが煌々(こうこう)と付き、予約客らしき、女性の2人組がすでに開店を待っていた(平日の夜は休業中)。
店は、1階にある。焼肉店というより、少し高級な和食店という雰囲気。店に入ると店内は比較的小ぶりだが、仕切りで囲われた個室感ある席が中心。だが、テーブルには焼き肉用のロースターが置いてあり、その上に天井から降りている吸煙ダクトが見える。「ここは何屋だっけ」と一瞬クラっとする。
「いし川」は2018年のオープン。すし店「築地青空三代目」などの高級すし店を経営する築地青空という企業が新業態として作り出した。天然のミナミマグロを扱っていることが自慢だ。
「焼うお」というスタイルは確かにユニークだ。大トロを焼き肉のロースターで焼く。天然本マグロを使った厚切りは「極厚最強カルビ」、薄めに切ったものは「特上カルビ」と呼ぶ。中トロが「上カルビ」。「極厚最強カルビ」は1枚900円(税別・以下同)で、4枚3600円。「上カルビ」1枚700円で4枚2800円。そしてうれしいのが、1枚ずつから注文できることだ。
厚切りの「極厚最強カルビ」、薄切りの「上カルビ」を2枚ずつ頼んだ。考えてみたら、大トロを焼くなどという「禁断」の行為は初めての体験だ。「炙(あぶ)る」という調理法は回転すし店でも、ひとつのカテゴリーとして存在するほど一般化したが、「焼く」はほとんど見かけない。新しい体験に何かワクワクしてくる。
テーブルに2種のトロを盛った皿が届く。トロそのものは、通常のすしネタより5割増しくらいの大きさ。キレイに入ったサシが美しい。すると、職人姿のスタッフがやってきて、トングでおもむろにトロを持ち上げ、ロースターで焼いてくれる。これは意外だった。自分で焼くものだと思っていたからだ。高級鉄板ステーキ店で目の前で調理してもらう喜びに似ている。
まずは、上カルビ。火を通す時間は、10秒もいかないだろう。用意された皿にサーブしてくれる。焼く前にしょうゆ系のタレで味付けしてあり、ダイコンおろしか本ワサビでアクセントをつけるやり方だ。
まずは、何もつけずに食べてみる。口に入れると、ほんのり温かく、中を見るとレアなのだが、何もつけなくてもいける。二口目はダイコンおろしを、三口目は本ワサビを気持ちだけ使ったが、個人的には、何もつけない>本ワサビ>ダイコンおろし、という感じだった。
そして、主役の「極厚最強カルビ」の登場だ。大トロと言いながら、多くのすし店は薄くてサシがあまりない。そうした「二流大トロ」しか食べて来なかった貧乏編集者からすると、自立するくらい厚く切った大トロを焼くのは、異次元とも言える。
厚切りの「特上カルビ」の大きさは4×6×2センチほど、回転すしの大トロの倍くらいだ。こちらは厚みがあるだけに縦横と方向を変えながら丹念に火を通していく。とはいえ、その時間は数十秒。焼くと、筋の部分がバラけ、身が花のように広がる。中はレアで口に入れた時の軟らかさは言うまでもない。
すみません、我を忘れてしまいました。でも単なるオヤジの感想だけではないのです。
冒頭に紹介した予約客の女性2人の反応が面白かった。年齢は30代前後。コースを予約していたらしいのだが、スタッフが大トロを焼くたびに、写真を撮り、食べると「ヤバイ、ヤバイよこれ」と声を出している。完全にトロを焼くという「体験」を楽しんでいる。
実は、コースは安くない。「焼うお」と刺し身、大ぶりなシジミを使ったシジミ汁、ウニとイクラを相盛りにしたウニいくら丼がセットで1万1000円、ウニイクラ丼の代わりに稲庭冷麺とデザートをつけたコースで7500円だ。飲み物を付けたら、1万円はいく。それでも「ヤバイ」という評価を下しているのだ。
女性客を意識してのことだろう。ご飯ものは充実している。「うに飯ハーフ」や「海胆いくら飯ハーフ」「イクラ丼ハーフ」などがあるが、こちらも安くない。うに飯が3000円、相盛りが2800円、イクラ丼も1800円する。かなり小さめの丼なのにだ。メニューブックに中国語での詳細な説明書きがあることを見ると、おそらくはインバウンド需要を見越した価格設定だったのだろう。
焼き以外も充実している。「海胆の刺身」(時価)、「生牡蠣」(時価)のほか、「本日の白身の御造り」(1人前1800円~)、「車海老の踊り食い」(1匹800円)などだ。もちろん、すしもある。「親方おすすめの5貫」(3000円~)や「本鮪ネギトロ巻」(1本1500円)のほかにお好みも注文できるようだ。このあたりは、経営元がすし店らしく、値付けは決して安いとは言えない。
それでも客は来ていた。一緒に入った2人のあと、2時間近く滞在したが、カップルと女性2人組など複数のお客が入ってきた。7割が女性だ。ド満席とは言えないが、日曜の夜でも20万円以上は稼いでいるように見える。コロナ前は月商1000万円と聞いた。
「いし川」は、2004年に「築地青空三代目」を創業した石川太信社長が、肝いりで作った店舗とのこと。店名も自身の名前を付けている。それだけにクオリティーの高さと体験の面白さは、ほかにない魅力だ。実際、似たような店は、あまり見ない。お姉さん2人組が「ヤバイ」と声を出す気持ちもよく分かる。
あえていうと、もう少し安くならないかな、と思う。1万円を覚悟しなければならない店であるため、接待需要には良いのだが、なかなか経費が落ちない中で、この金額を自前で払うのはちょっと厳しい。石川社長、ご検討を! ちなみにランチは3000円前後からあるので、まずはそこで味見をするのが良いかもしれない。
(フードリンクニュース編集長 遠山敏之)
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