では、術後にあらわれた「手が勝手にグーパーしてしまう」「目の裏がかゆい」というような不思議な症状はどう説明すればいいのだろう。そもそもこういった患者の脳では何が起きているのかという問題に、牛田さんは取り組むようになる。

「刺激の信号が脊髄から脳に入るときに最初に通るのが視床です。だから、まず脳の中でも視床が重要だというのがセオリーで、僕は一時、MRIなんかを使って視床を見ていく研究をしていました。まず、健常者の右手を刺激して痛いというときには、脳では左右反転して、視床の左側が活動するんですね。でも、ずっと長いこと痛みを持っている人は、むしろその部分の活動が下がってるんですよ。つまり、活動が低下しているのに痛いんです。そして、視床の後の、感覚や情動の部位はちゃんと活動しているんです」
これは謎だ。痛みの刺激が脊髄を通って視床に入り、その後、脳内の痛み関連領域で痛いという感覚や痛みの情動につながっていくというセオリーからは想定外の結果といえる。
そこで牛田さんが試みたのが、「視覚刺激による疑似疼痛体験」という実験だ。
「アロディニアでいつも手袋をしているような人たちにMRIの中に入ってもらって、ビデオでとある動画を提示しました。目の前の画面に、手袋をつけていない手が出てきて、それをブラシでゴシゴシする、と。被験者は、自分の手がゴシゴシされているように感じてしまって、すごく不快になって、脳の痛み関連領域の反応もポンと出ます。でも、視床の活動は上がりません。動画を見るだけなら、そこには刺激は行っていないわけですから。これまで、脊髄や視床の問題だと思っていたのが、もっと高次のことが関わっているんだと示せた実験でした」

慢性の痛みをこじらせていくと、感覚器などからの痛みの刺激がなくても、いや、それを最初に感受する脳の部位の活動が低下していてすら、強烈な痛みを感じうる仕組みがもう脳の中に確立してしまっていることになる。なんとも恐ろしい話だ。
そして、こういった不思議な仕組みは、心理的・社会的な諸事情によって修飾され、やはり深みにはまる事例が出てくる。牛田さんが見てきた中には、痛々しくも、切ない事例がたくさんある。例えばこんなふうな症例について話してくれた。
「十代の女性で、僕らのところに来たときには、もう半年以上、車椅子を使っていて、薬も効かず、小児科の先生が困り果てていました。バレーの選手だということで、もとはといえば足を捻ったのがきっかけなんです。それで足に痛みが出て、ひどくなってきた、と。僕らは、まず、下肢を動かさないと拘縮してしまったらいかん、ということで強引にでも動かそうというのと、それから精神科の先生と一緒にカウンセリングをしつつ、薬は効いていないんだからやめましょうというふうにしていきました」
レントゲン写真を見せてもらったが、衝撃的と言ってよかった。
右脚の膝から下が写っているのだが、足首から先がまるで溶けかけているかのようにもやーっとしている。ズディック骨萎縮という、特殊な骨萎縮を起こしていたそうだ。単純に足首を捻っただけで、ここまでなるというのは信じられないレベルだった。
「結局、その子の治療でポイントになったのは、カウンセリングでした。まず神経性疼痛によく使われるプレガバリンって薬を飲んでいるときには、ぼーっとしてゆっくりとしか話せなかったのが、薬をやめてから自分からいろいろ話せるようになって、患者さん本人だけでなくて、両親とも別々にカウンセリングをやりました。そうすると、この女の子は、家庭内の事情でお父さんとお母さんが離婚したいというふうなことを、怪我をした時期にお母さんのほうから伝えられていたんですね。それがその後、ふと解決して、お父さんがずっといてくれることになって、病院にもお父さんが来てくれたらリハビリをめちゃめちゃ頑張るようになって、歩けるようになりました。こうやってみると、この足のアロディニアというのは何だったんだということですね。ちなみにこの子の足は、今でも左右差があって骨ももとどおりにはなってないです」