そうだ習字を始めよう 真打ちになる日のために
立川吉笑
いきなりだが、今年から習字を始めることに決めた。
「書道」でなく「習字」。書の道を究めんとするのでなく、単純に字の書き方を習うほうのやつだ。36歳で習字を始めるのは遅すぎる気もするけど、そうせざるを得ないくらい僕の字は汚い。
色紙を頼まれても
字が汚いのは僕にとって大きなコンプレックスの一つだ(余談だがもう一つの大きなコンプレックスは足が極端に短いこと)。
落語家という商売柄、主催者やお客様から色紙を書いてほしいとお願いされることが少なくない。その都度、自分自身が「こんな字しか書けなくて申し訳ない」とがっかりしてしまう。
本当だったら「芸は人なり」みたいな粋な一言を添えて行書体でサラサラと署名して、横にそっと千社札を貼ったすてきな色紙を作りたいけど、どれだけ粋な一言を添えても、そもそもの字が汚いから野暮(やぼ)ったくてしょうがない。
「僕のサインはもともとこんな感じなんです」と殴り書き風に署名していたこともあったけど、そのとき問題になるのは宛名で、どれだけそれっぽくサインしたところで「松岡真樹さんへ、と宛名をお願いします」などと言われた瞬間に、根本の字の汚さがバレてしまう。もっと言えば日付を書くだけでもバランスが悪くて、字が下手だとバレてしまう。
それにしてもなんで自分はこんなに字が汚いのかなぁと考えたときに思い当たる節が1つあった。それは小学校低学年の頃に通っていた学習塾でのこと。その塾は簡単な問題が並んだドリルをひたすら解くというスタイルだった。決められた時間に何ページ進められるかというようなカリキュラムで、負けず嫌いだった僕は友達に負けないように猛烈な勢いで問題を解き続けた。
結果的に僕の問題処理速度はみるみる向上して、調子がいい日には友達の倍の量をこなせるようになっていた。みんなが10ページ進める間に、自分だけは20ページ進んでいるみたいなこと。
この時身につけたものが糧になっているようで、大人になった今でも簡単な作業を素早く処理することに長(た)けている自覚がある。
一方で、とにかく早く問題を解くことに必死で、答えを殴り書きし続けていたあの頃の経験が、いまの字の汚さにつながっているのではないか。
とにかく30年ほど遅い気もするけど、きれいな字が書けるようになるために習字を始めることにした。入門から10年がたち、そろそろ真打ち昇進を目指す時期になった。せっかくだったら真打ちになって書く最初の色紙を、今みたいなヘロヘロな字でなく真打ちらしいカッコイイものにしたい。
しかしながら、これまで一切習字をやってこなかった僕は、書道教室を選ぼうにもどうやって決めたらいいか分からないし、そもそも大人が通える教室があるのかすら分からない。どうしたものかなぁと、ぼんやりネットを見ていると「motuの書道チャレンジch」というYouTubeチャンネルにたどり着いた。そのチャンネルには「書道初心者が書道を365日続けてみた」という今の僕にぴったりの動画がアップされていて、これだと思った。
ひとまず通信講座で
動画を見ると、初日の段階では僕と同じくらいの字しか書けなかったチャンネル運営者のmotuさんが、「日本習字」という団体が運営している通信講座に加入して、そこから毎日練習を繰り返して365日後には僕にもハッキリと分かるくらい上手な字を書けるようになっていく過程が映されていた。
motuさんの努力があってこそとはいえ、通信講座でもこんなに効果が表れるのかと驚いた僕はすぐに資料を取り寄せた。
調べたら家の近くで日本習字公認の教室が開かれていることがわかり、どうせだったら実際に教室に通おうかとも思った。先生に教わった方が上達しそうな気がするのもさることながら、小学生たちに混ざって36歳のおっさんが授業を受けるのは体験として面白そうだなぁと。ただ、仕事が不定期で決まった時間に通うのが困難だから、ひとまず通信講座でどれくらい上達できるのか試してみることにした。そんなわけで、この4月から僕は習字を始めることになった。
便利な世の中だなと思ったのは、YouTubeで検索するとmotuさんはじめ何人もの方が毎月のカリキュラムについて、「この字はここのバランスに気をつけましょう」とか「こんな感じで筆を使えば書きやすいです」とか解説動画をあげていることで、これだったら通信講座だけど実際に教室に通っているのと同じような効果が得られそうだなぁと期待している。
上達できてもできなくても、1年後に結果をここで発表しよう。ちなみに講座を受ける前の今の自分はこんなレベルだ。この字が本当に改善されるのか? 今は不安しかない。
本名は人羅真樹(ひとら・まさき)。1984年6月27日生まれ、京都市出身。京都教育大学教育学部数学科教育専攻中退。2010年11月、立川談笑に入門。12年04月、二ツ目に昇進。軽妙かつ時にはシュールな創作落語を多数手掛ける。エッセー連載やテレビ・ラジオ出演などで多彩な才能を発揮。19年4月から月1回定例の「ひとり会」も始めた。著書に「現在落語論」(毎日新聞出版)。
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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