自分が主語にならない、責任回避の話術

トランプ氏の言葉遣いが大国のリーダーに望まれる品格を備えていなかった点は、最終的な勝利を呼び込めなかった理由の一つとみえる。あからさまなあざけりやレッテル張りは「トランプ話法」の悪い特徴だ。幼い子供の口調にも似た、分別や慎みを欠いた表現は、直接的に言葉を浴びせられる立場でなくても不快に感じた。

たとえば、トランプ氏はあだ名のような形で、他者にイメージを押しつける「印象操作」が得意だ。今回の大統領選では予備選段階からこのあだ名攻撃を繰り返した。バイデン氏には「スリーピー(眠そうな)・ジョー」、バーニー・サンダース氏には「クレージー・バーニー」と命名した。

不見識なあだ名は侮辱にあたり、当人だけではなく、それを聞いた人たちからも反発を買いやすい。パワーハラスメントを戒める意識が広がった今、職場でこんな態度を取るリーダーは少ないはずだが、「彼は技術屋だから」「女性ならではの感覚で」「関西出身らしく笑わせて」など、出身や属性に絡めて「余計な一言」を漏らす例は珍しくないようだ。

トランプ氏は表現が極端だから、誰にでも「やりすぎ」が分かりやすい。でも、濃度を薄めただけで、発想の根っこは似たような「小トランプ」は、本家ほどには度が過ぎていないぶん、自分では気づきにくい。言われた人や周囲をイラッとさせるところは変わらないが、批判も本家までは強くないから、言動を改めるきっかけも生まれづらい。結果的にリーダーへの不満がくすぶり続ける事態となりかねない。

「僕は悪くないもん。悪いのは~ちゃんだもん」というのは、幼児がよくやる、浅はかな言い逃れだ。自分への批判の矛先をそらして、とりあえずの責任回避を図る態度であり、子供は保護者や教師から、かえってきつく叱られる羽目になりがちだ。しかし、70歳を超えた大の大人であるはずのトランプ氏は、この手のチャイルディッシュな物言いを繰り返してきた。

コロナ禍の大半が中国や国内各州当局のせいであるかのような言い方で、米国内での対策の遅れや、感染拡大の責任を免れようとした。発生直後の対応に問題がなかったとは言い切れないが、米国内で感染が広がった背景には、疾病対策当局の足を引っ張ったトランプ氏本人の責任が大きいと映る。それなのに自分以外に原因をなすりつけるような物言いは、端的にいえば、無責任で卑怯(ひきょう)だ。

仕事の現場でも誰かに責任をかぶせて、批判を避けたくなる場面がある。しかし、リーダーがこれをやったら、部下はついてこない。まして、部下に「お前たちの頑張りが足りないから」と言った日には、離反は避けがたいだろう。嫌な仕事を押しつける際に「上がうるさくて」と、経営者を悪者にするのは、ありがちな振る舞いだが、説得力を欠く態度だ。「~がうるさくて」式の発言は、リーダーをただのメッセンジャーにみせてしまう。

「自分が求めているわけではないのだが」とでも言いたげな「主語なし」のメッセージは、部下から納得や共感を得にくい。リーダーは諸般の事情を自分流に読み解いたうえで、自分を主語にした文章で伝えないと、存在感が薄れてしまう。あれほど「中国ウイルス」と連呼しても、トランプ氏の指導者責任が軽くなることはなかった。菅義偉首相が言うような「対策が求められており」「必要とされ」式の受動態を使った口調も、発語の主体をぼかしてしまい、説得力を弱めてしまいがちだ。主語に「私は」を使えないリーダーは頼りがいが乏しい。

次のページ
「ただの冗談」は笑い事で済まない
ブックコーナー ビジネス書などの書評はこちら