――枡野さんがデザインを手掛ける「禅の庭」への関心も、海外で高まっているそうですね。

以前は高級コンドミニアムのデベロッパーが中心でしたが、最近は米国や中国などの資産家層の関心が高まっていると感じます。海外からの庭園デザインの依頼も増えていて、現在は10件ほどの海外案件が動いています。

海外出張も例年は20回ほど行っていましたが、2020年は1月の香港出張を最後に行けなくなってしまいました。ただ、全く進めないわけにもいかないので、オンラインで現地の人に指示を出しながらできることをやっていますが、これがなかなかうまくいかない(苦笑)。

例えば「石を少し右に動かしてください」と指示するとどうしても行き過ぎる。「ちょっと戻して」と言うと今度は戻し過ぎるといった具合で、感覚やあんばいがうまく伝わらないのです。コロナの前は京都の職人さんが現地に入って進めていたのですが、やはり私たちが現地に行かずに「禅の庭」をつくるのは難しいと痛感しました。

ですから今は、現代的な感覚を取り入れたデザインにするとか、現地の人が扱いやすい素材を中心に用いるなど、色々と折り合いをつけながら、コロナ下でも進められるよう工夫しているところです。

――「禅の庭」というと枯山水をイメージしますが、明確な定義はあるのでしょうか。

「禅の庭」の要件は端的に言えば一つだけで、「庭のつくり手が禅を会得していること」です。枯山水は「禅の庭」の代表的な形式ではありますが、大事なのは形式ではなく、つくり手の禅的な心が庭づくりに表現されているかどうかです。

禅は自然と協調して生きることを重んじますので、庭づくりでも敷地の特徴や素材となる石や樹木をできる限りそのまま生かすことが基本です。つくり手は心を研ぎ澄ませた状態で敷地と対話をして「地心(じごころ)」を読み、石や木とも対話して「石心(いしごころ)」や「木心(きごころ)」を読みながら、それぞれを生かす配置や角度を考え、庭をつくり上げていくのです。

大切なのは、「こういう庭をつくろう」という作為をそぎ落とし、無心になることです。空っぽな心で素材と向き合い、その美しさを精いっぱい生かすことに集中することが「禅の庭」づくりの本質です。

――「禅の庭」で表現する「美」には、不完全で整っていないところに美を見いだす「不均斉」や、静けさを心で感じることができる「静寂」などがあるそうですね。海外の人たちも、そうした禅の美の在り方に引かれているのでしょうか。

そうだと思います。今手掛けている海外案件で著名なソフトウエア開発者の方の庭がありますが、いつもプライベートジェットで打ち合わせに来られます。私も2度ほど、プライベートジェットで現地に行かせてもらいました。

そういう方は、とにかく何でも持っていらっしゃいます。物質的には満たされ切っている。一方でだからこそ、モノだけでは心は満たされないことを実感しているのです。

ビジネスの最前線に立ち、精神的な負荷が高い毎日を送る中で、心穏やかになれる場所、ホッとできる場所を持ちたいと願うようになる。そんな時にメディアで「禅の庭」を知り、私に連絡を下さるケースが多いように思います。

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