バレー柳田選手 伸び悩み防いだメンタルは「自主性」
一流アスリートの自己管理術(上)
跳躍力を生かした強烈なジャンプサーブやスパイクが魅力の柳田将洋選手は、バレーボール界のエリートだ。第41回春高バレー(全国高等学校バレーボール選抜優勝大会[注])で主将として全国を制覇し、慶応義塾大学在学中の2013年には全日本メンバー入り。大学卒業後に入団したサントリーサンバーズでは最優秀新人賞を受賞。17年にはプロに転向してドイツやポーランドといった欧州でプレーし、18年には日本代表キャプテンに就任するなど、常に日本のトップレベルを突っ走ってきた。
16年のリオデジャネイロ五輪への切符を逃して挫折を味わったが、再び東京五輪に向けて準備する柳田選手に、モチベーションを落とすことなく、トップレベルで戦い続けるための思考法やメンタルについて聞いた。
停滞している時ほど現状に疑問を持つ
――バレーボール一家に生まれて小学1年生から本格的にバレーボールを始め、小学5年で日本一になり、中学で全国大会に出場。春高バレーでは全国優勝を遂げるなど、常にトップレベルで結果を出されてきました。若い頃から結果を出している選手の中には、高校や大学でモチベーションが続かず、成績に結びつかないアスリートもいます。モチベーションを維持したままトップで戦い続けられている理由は何だと思われますか?
幼い頃はバレーボール漬けの毎日を続けていくことに必死で、わざわざ「モチベーションを上げるためにどうしようか」など考えたりしませんでした。でも、高校、大学と進学し、長年バレーボールをやっていると練習も気持ちもマンネリ化してきます。やはり目的がないとモチベーションが続かない。だから「何を目的にバレーボールをやるのか」をきちんと考えて行動に移すようになりました。すると、大きくモチベーションを落とすことはなくなりましたね。
――例えば?
僕は17年にプロに転向しましたが、これも「自分の中で何を目指していくべきか」と考えた末の一つの答えでした。欧州でプレーすることを選んだのも、「環境を変える」ことでモチベーションを高めるスイッチにしたかったのです。
他のアマチュアスポーツのアスリートと同様、五輪を基準に4年という長期スパンでプランニングしていますし、1年1年「今年はどうやって戦おうか」と考えるようにもしています。目的や目標を考える際には、常に「自分がやりたいことにチャレンジする」を意識していて、絶好調の時よりも、自分が停滞している時ほど、「本当にこれでいいのかな」と疑問を持つようにしています。その原因を克服する方法を考える方が、目標や目的を設定しやすいし、そこから逆算すれば、自分がやるべきことや適した環境を選びやすくなります。
[注]現在は全日本バレーボール高等学校選手権大会
五輪の切符を逃した大きな挫折
――プロに転向したのは、主力として挑んだ世界最終予選兼アジア大陸予選で敗退し、16年のリオデジャネイロ五輪への切符を逃したことが大きかったのでしょうか?
そうですね。リオデジャネイロ五輪という大舞台に立って活躍することは、その時の最大の目標だったので、達成できなかったことはものすごくショックでした。重圧とは思っていなかったのですが、最終予選では得意のサーブでミスをしてしまい、不安定なプレーになってしまって。自分が追い求めていた目標と、実際に残った結果とのギャップが大きかったし、周囲からの期待を背負ってのチャレンジだったので、応えられなかった自分に対してのふがいなさや悔しさもありました。
満足から程遠い結果でしたが、すでに2020年に母国で五輪が開催されることが決まっていたので、「このままじゃダメだ」という危機感が募りました。心が折れている場合でなく現実を受け止めて、プレーの質を上げるべきだと。
実は、プロへの転身や海外でプレーしたいという思いは、リオ五輪の切符を逃す前から考えていました。日本代表に選ばれて試合を重ねると、自分に足りないところがたくさん見えてきて、「日本代表として戦い続けるためにはどうしたらいいか」と自問自答するようになりました。
同じサントリーのチームですでにプロ選手として活躍していた酒井大祐先輩の影響もあって、世界で通用する選手になるには、身一つで海外に飛んで外国人選手の中に入ってプレーする必要があるとも考え始めました。プロになって海外でプレーすることを視野に入れていたんです。
もう一つ、ワールドカップが開催された15年は、新人賞を獲得するなど、例年に比べて結果を出すことができていたのですが、周囲の評価と自分の感覚にギャップを感じていました。プロになれば厳しい世界がゆえ、もっと個人の評価が重視されるのではという考えも湧いてきて。リオ五輪に出場できなかったからこそ、以前から抱いていた思いが加速して、思い切った選択ができたのかなとも思います。
伸び悩みを防いだのは「自主性」
――学生の頃から受け身ではなく、能動的に考えて動ける選手だったのでしょうか?
バレー人生を振り返ると、監督にやらされていたという経験があまりありません。特に高校は春高バレー上位常連校ではなく、自主性を重んじる環境だったので、そこで主体的に動くクセが芽生えたように思います。もちろん気持ちが緩んでいたりすると、監督にちゃんと喝を入れてもらいますが、練習試合後に、「最後のあのボールは誰が取るべきボールだったか」などと振り返ってチームメートと改善点を話し合ったり、練習後に居残って課題に取り組んだりしました。
大学では、さらに自分たちで考えて練習することが許される環境だったので、「こういう練習をすればもっとプレーの幅が広がるんじゃないか」などと、常に考えていました。大学4年の時にキャプテンになると、同期とアイデアを出し合いながら練習メニューを作っていました。頭の回転が早くて知識力が高い選手が集まっていたので、それぞれの視点を持ち寄って議論しながら、改善点などを探ることが楽しかったですね。コートに立っていない選手からの意見もすごく参考になり、周りの意見に耳を傾けるようにもなりました。やらされる練習ではなく、早くから自分が何をしたいのか、すべきなのかを常に考えていたことが伸び悩みを防ぎ、成長の原動力になっていたのかもしれません。
(ライター 高島三幸)
1992年東京都生まれ。小学1年生からバレーボールを始め、東洋高校では主将として第41回全国高等学校バレーボール選抜優勝大会優勝。慶応義塾大学在学中に全日本メンバーに招集される。サントリーサンバ―ズに入団し、2015/16 Vプレミアリーグ最優秀新人賞を受賞。17年にプロに転向し、ドイツ・ティービー・インガーソル・ビュール、ポーランド・クプルム・ルビン、ドイツ・ユナイテッドバレーズでプレー。20年サントリーサンバーズと契約。
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