「忙しくてもお味噌汁さえあれば」

2005年の1月に27歳で長男を出産し、4月には職場復帰しました。朝は夫が息子を保育所へ送り、夕方は私が迎えに行くという毎日。女性の多い職場だったので働きやすかったのですが、フランス本社との仕事は時差があるし、子育てしながらのフランス出張が負担になりました。もっと自由な働き方をと求めたとき、知人が立ち上げたライフサイエンス系のベンチャーに誘われ、転職します。私は新規事業開発を担当してコンビニエンスストアと組んで健康的な弁当を作ったり、クッキーの会社と組んで抗酸化成分の入ったギルトフリーのおやつを作ったりしました。自分で企画して営業できるのはすごく楽しかったけれど、旧態依然とした医療の世界はカルチャーショックとしか言いようがありません。アクセンチュアは仕事さえ頑張っていれば性別は関係なかったし、ルイ・ヴィトンは女性が多く活躍している会社でした。3つ目の会社は理解のある社長の下でのびのび働くことができましたが、一歩外へ出ると女の子扱いされ、それまでいかに会社の看板に守られていたかを痛感しました。まともな話もできない、意見も言わせてもらえないという体験は初めてでした。

振り返ると、この時期がプライベートでも一番大変な時期でした。年子で次男を産んだので2人とも幼く、とにかく手がかかります。保育所のお迎えが最後になることも多く、園長先生はそんな私を心配して定期的に言葉をかけてくださいました。息子への罪悪感や仕事を続けることへの不安を口にすると「毎日一汁三菜用意しなくちゃ、なんて考えなくてOK。具だくさんのお味噌汁とご飯を炊いていたら十二分だし、それならお母さんでもお父さんでもできるはず」と励ましてくださったことが印象に残っています。「一人で頑張りすぎないで」というメッセージだったと思います。仕事を頑張る人ほど育児も頑張るけれど、両方頑張るとパンクしてしまいます。私自身、破裂する寸前だったのかもしれません。実際、夫婦げんかも多かったです。こちらは思うように仕事ができないのに、夫だけはそれまでと同じようにキャリアを積んでいくことに「なんだろう」とモヤモヤしていました。ただ、男性が育児を理由に仕事をペースダウンするという選択肢がなかった時代。夫とは何度も話し合いましたが、合理的に考えてどちらかがキャリアを降りるとなったら、私なんだろうと諦めるしかありません。私の方が年下でしたから。

息子の白血病に「成長の道が閉ざされた」

長男の白血病が発覚したのはそんなとき。4歳になる直前でした。もう仕事を辞めるしかありませんが、これで自分が成長する道は閉ざされたと感じました。1年間の入院生活はほとんど泊まり込みです。特に最初は息子が不安がって私がいないと水も飲まない状態だったので、ずっとそばにいました。次男は母に預けっぱなしです。外に出て感染症をもらってしまうといけないので買い物にもほとんど行かず、新型コロナウイルス禍の今のような生活をしていました。人と会わなかったのは感染リスクを避けるためというより、つらくて会えなかったからです。テレビで子どもと公園で楽しく過ごす家族の姿を見るだけでも涙が止まらない。「うちの子は公園にも行けないのに」と。SNSも完全に遮断しました。

一時退院中は両親の家に行って気分転換することもあったが、息子は感染予防のためにマスクが手放せなかった

1年後に退院して息子は幼稚園に移り、私も専業主婦に近い立場になりました。ママたちっていろいろなシーンに対応する服が必要なのです。自分の苦手なカジュアルもいろいろなパターンがあると知りました。ちょっときれいめな運動会カジュアルとか、遠足用のカジュアルとか。私は全てジャージーでいいと思っていたのですが、周りは皆おしゃれで、限られた予算の中で工夫していることも驚きでした。再就職も考えましたが長男の検査通院などを考えると条件的に難しく、フリーランスでデータ分析の仕事を始めました。でも小学2年生で白血病が再発します。前回同様、つきっきりで看病しました。

仕事を辞めて7年が過ぎ、長男も小学5年生になったのでそろそろ本気で仕事に戻ろうと思いました。息子たちも応援してくれます。ちょうどスマホアプリが出始めた頃だったので自分でも挑戦してみたいと思い、自分が一番苦労していることは何かと考えたらやはり、衣にまつわることです。まずはクローゼットにある洋服を整理するアプリを作りました。やがて服を整理するだけでは問題解決しないことに気づき、スタイリストとマッチングするビジネスモデルに舵(かじ)を切ろうとしたとき、長男の2度目の再発がわかったのです。ただ、つきっきりの看病はもはや不要でした。また次男が小学4年生になり、骨髄移植のドナーになってくれました。

白血病の再々発では弟から骨髄移植を受けて無事に退院。小学校の卒業式には間に合わなかったが特別に校長室で卒業式をしてもらったことがとてもうれしかった

長男の闘病中、次男は間違いなく寂しい思いをしたと思います。ですがその分、次男と一緒にいる時には100%彼のことだけを考え、密度の濃い時間を過ごすように心を砕きました。長男の体調が良い時を見計らって夫や両親に長男を頼み、次男や彼の親友と出かけました。友達も長男のことを知っていたので「次はいつ頃どこで何をしよう」という約束を次男と交わし、それまでまた次男が頑張れるように協力してくれたのがとても心強かったです。骨髄移植については次男と私の免疫型が長男と一致したので、必ずしも次男だけががんばらなくてはいけないわけではなく、次男も大事な存在で、自分を犠牲にする必要はないのだと説明を尽くしたつもりです。それでも次男は協力したいと言ってくれたので次男から移植することになりました。

2018年にベンチャーキャピタルの出資を受けました。スタイリングだけでなく、洋服も作ることが条件だったので急きょサロンをオープンし、洋服の開発も進めました。アパレル業界に長く勤め、子育てで仕事のやり方を見直した女性を紹介されて意気投合、着回しに便利なベーシックアイテムを展開しています。

就職したときに考えていたMBAは取得できませんでしたが、学びたいという気持ちはずっとあります。自分の貯蓄で起業したので、今のスタートアップでの学びが自分への投資。MBAの代わりというわけではありませんが、この事業で自分を成長させたいと思っています。ファッションの世界に身を置いて、自分の中でディープラーニングが進んだ感じはあります。限られたものの中でどう組み合わせればいいのか、ある程度分かるようになりました。ただ、難病ほど薬の開発が進まないように、ファッションも悩みを抱えている人ほど選択肢が少ない。一般体形の人にはたくさん商品があるのに、ちょっと外れるととたんに少なくなる。ある意味公共的な発想で、困っている人にこそ届くようなサービスにしたいと思っています。スタイリストのすごいところは「この人はこういうスタイリングをすればすてきになる」というイメージを、何もないところからつくれる点。真っ白なキャンバスに絵を描けるのです。

「あれっ?」と感じる第六感はいつも子どもに

子どもが病気になったことでスパッと仕事を辞めたわけですが、子どもに100%振り切ったら夫婦のけんかはなくなりました。夫とは戦友のような関係になり、同じ方向に向かって頑張ることができたのはよかったのかもしれません。

もし息子が白血病にならなかったら、モヤモヤした気持ちをずっと引きずり、子育てに対してネガティブに感じる時間が長くなっていたかもしれません。連続したキャリアトラックから飛び降りるのはとても勇気のいることですが、私の場合は病気をきっかけに完全に方向転換しました。息子が背中を押してくれたから飛び降りられた、人生を一度リセットできたのは結果的にはよかったのでしょう。全く想像もしなかった道を切り開くことができました。病気になる前は「なんで私だけ」というネガティブなエネルギーが充満していましたが、病気が終わったらポジティブ人間になっていました。どうあがいてもどうしようもないことが世の中にはあるとわかり、「それはそれ」って割り切れるようになったのですね。

しかも幸せの感度が上がりました。天気がいい日に息子のシーツを洗える幸せ。入院していたときはシーツを洗うこともできず、ただ苦しむ息子のそばで見守るしかなかったのです。そばにいて世話してあげられる幸せ。ちょっとしたことがありがたいと思えるようになりました。

長男は高校生、次男は中学生になり、私も仕事に忙しくなってきました。結婚前は一切自炊をしていなかった夫も、今ではおいしいけんちん汁を作ってくれます。ただ息子が通っていた美術教室の先生に言われた「忙しくて子どもに罪悪感を持ちそうになったときでも、第六感を全部子どもに向けていれば大丈夫」という言葉はずっと、呪文のように自分に言い聞かせています。学校から帰って自転車で教室に通っていたのですが、息子が夕方眠ってしまって遅刻をすることもありました。私が付き添えないことへの申し訳ない気持ちを話した時にいただいたアドバイスだったと思います。長男の2回の再発時に「いつもと違う」ことにすぐに気づけたことや、次男がいつになく機嫌が悪いときに体調不良の予兆を感じとったりと、体調管理面では第六感をきちんと向けられていると思っています。

でも肝心なのはこれから。2人が思春期を乗り越える際の心の揺らぎに敏感でいられるかどうかだと思います。直接は語ってくれないような隠れたSOSに気付けるか、これからも心を砕いていきたいです。「今、すごく助けを求めているな」とか、そういう直感さえもすり減らすほど仕事に没頭したり、自分を失ったりしなければなんとかなる。早く帰れない日が続いて罪悪感を持ちそうになると「まだ第六感は彼らに向いているよね」って自分に問いかけます。

(聞き手は女性面編集長 中村奈都子)