日経ナショナル ジオグラフィック社

何千という人々が、聖アントニウスの説教を聞こうと砂漠へ入り、共に苦行生活をしていた。アレクサンドリアの司教アタナシウスの書いた『聖アントニウス伝』(4世紀)によれば、荒涼とした土地に隠遁者たちがあふれ、砂漠はまるで「都市のよう」だったという。

現代のエチオピアにも、志を同じくしたバヒタウィと呼ばれる隠遁者の集団がいる。洗礼者聖ヨハネを手本として、俗世とのつながりを断ち、荒野の教父たちの頃のような禁欲的な生活を送っている。ゲラルタ山の岩肌をくりぬいた住居はとても狭く、大人一人がやっと座れるほどのスペースしかない。教会は多少広く掘られ、いたるところに描かれた色彩豊かなフレスコ画に信仰の強さがうかがえる。

エチオピアの聖ゲオルギウス教会。ラリベラの岩窟教会群の一つ(PHOTOGRAPH BY YURY BIRUKOV)

ギリシャ北部、山の上の修道院

ギリシャ正教では、救いを求めて山にこもる修道士も多かった。ギリシャ北部、テッサリア平原には奇岩群があり、その岩の上は、俗世間とのかかわりを断つのに理想的な場所だった。1000年以上たった今でも、修道士たちは同じ場所で祈りをささげている。

9世紀に、孤独を好む隠修士(いんしゅうし)たちが住み着いたのが始まりで、最盛期には24の修道院があった。メテオラ修道院群のメテオラというギリシャ語は、「中空に浮かぶこと」を意味している。石灰石の険しい崖の上に建てられた修道院は、現在でも活動しているものが6つあり、世界中から観光客が訪れている。

しかし、いまだに入場が厳しく制限されている修道院もある。ハルキディキ半島東端にあるアトス山の修道院自治州などがそうだ。この聖山では、15世紀初頭に女人禁制が敷かれ、のちに、男性に対する1日あたりの受け入れ人数も制限された。アトス山の修道院共同体はギリシャ国内で最も古く、治外法権も認められている。またEU法によっても、特別な法的地位を与えられている。

始まりは、1700年前の荒野の教父たちの時代に、隠修士たちがこの地に建てたスケーテと呼ばれる小さな僧院だった。最近の調査によれば、20の修道院に約2000人の修道士が共同生活を送っているという。中には海に突き出た小さな都市のような大規模な修道院もある。

次ページでも、山の修道院をはじめ、求道者たちが隠れ住んだ秘密の場所を写真で紹介しよう。

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