「おまえも貧しい家庭か」米で多様性学ぶ

――リーダーのあり方を学んだ経験はありますか。

「大学院で米国に留学した時、視野が広がったと思います。1960年代の終わりころにヒットしたダスティン・ホフマン主演の『卒業』という映画で、女優のキャサリン・ロスがバークレーの大学を出ている設定で、行ってみたいなと思っていたのです。留学したのはベトナム戦争が終わる前後の時期で、ヒッピーのような軍人姿の若者が広場の階段に腰掛け、けだるい様子でフォークソングを歌っている。サンフランシスコの町にはそんな風景が広がっていて、多様性というものを学びました」

米国の大学院に留学して、多様性の大切さに気づいたという(1970年代、右端が更家氏)

「500人近い学生が共同生活をする寮の食堂には、各国の宗教やルールに基づいた食事が並んでいました。夕食で白米の味が薄くて塩をかけて食べていたときには、台湾出身の数学の教授から『おまえも貧しい家庭で育ったのか』と声をかけられました。とても面白い経験でしたね」

「国内外の青年会議所で働いていたことも非常によい経験だったと思います。ウシオ電機創立者の牛尾治朗さんや麻生太郎さんなど、年齢の離れた経営者の皆さんに囲まれて、勉強になることがたくさんありました。講演などで多くの外部の方から話を聞く機会も大変勉強になりました」

――子供のころの経験で今につながることはありますか。

「父は私の勉強について口やかましく言うことはなく、むしろ淡泊なほうでした。ただ勉強というよりは、もっと別の意味で教育の環境をつくってくれたように思います。例えば高校1年生の夏に米国のケンタッキー州でホームステイをしました。具体的になにかを学んだというよりも、欧米の社会や文化についてなじみやすい環境を整えてくれたという面が大きかったのですが、これがその後の人生に影響を与えて、大学院での留学や海外事業の推進に積極的に取り組むことにつながっています」

「サラヤに入社することについては、幼いころから家業に親しんでいたので抵抗感はなかったですね。ただ、バークレーで衛生工学の修士課程を終えた時、そのまま日本に帰るという気持ちはありませんでした。もう少しこの分野で仕事をしたいと思って米国で就職先を探し、インガソール・ランド社というコンプレッサー大手の米企業に採用が決まっていました。しかし、サラヤでは工場で大きな問題が発生しており、父から帰国を求める電話もあったので、そのまま日本へ戻ることにしました」

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企業自体が持続可能になる必要
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