日経ナショナル ジオグラフィック社

ペルシャに魅せられて

1881年2月、ジェーンとマルセルはスーサを目指し、6000キロに及ぶ最初の壮大なペルシャへの旅に出た。当時30歳だったジェーンは、便宜上、もう一度男の格好をした。そうすれば、現地の女性の伝統に縛られることなくペルシャを旅することができたからだ。彼女はベールを着用せず、付き添いなしで馬に乗った。2人は病気、昆虫、泥棒、劣悪な道と戦いながら、1882年1月にスーサにたどり着いた。しかし、疲れ果て、資金も不足し、豪雨に耐えられず、やむなく帰国した。

この旅行中、ジェーンは詳細な日記をつけ、建築物やモニュメントの写真を撮った。また、普通の人々を撮影した。彼女は、男装の女性というユニークな立場のおかげで、ハーレム内を自由に動いてハーレムの住人の写真を撮ることができたと主張している。だが、これは信じがたい話だと、学者は言う。実際、そのような写真は見つかっていない。

写真とスケッチで彩られた彼女の日記は、フランスの旅行雑誌「Le Tour du Monde」に掲載された。この日記は大人気を博し、彼女は講演に引っ張りだこになった。旅行記で名を上げたジェーンは、今度は歴史小説を書き、またも成功を収めた。その1つである『パリュサティス(1890年)』を、フランスの作曲家カミーユ・サン=サーンスが後にオペラにした。古代ペルシャの女王の話で、オペラの台本もジェーンが書いた。さらに、彼女が撮った写真は、マルセルが1884年から1889年にかけて出版した『Ancient Art of Persia(ペルシャの古代芸術)』(全5巻)にも使われた。

再びスーサヘ

ジェーンとマルセルの研究は、フランス国立美術館連合の会長ルイ・ド・ロンショーの支持を勝ち取った。1884年、ルーヴル美術館とフランス政府の支援を受け、2人は再びスーサを訪れた。

それより30年以上前の1851年、英国の考古学者ウィリアム・ケネット・ロフタスは、スーサが聖書に書かれたシュシャンだと初めて特定した。これにより、スーサは世界最古の都市の1つと呼ばれるようになった。彼の調査によると、紀元前4000年代後半から13世紀まで継続的に人が住んでいた。

ロフタスは、この遺跡の図面を作った。そこには、聖書に出てくる預言者ダニエルの墓もあった。さらに、1854年から1855年にかけて限定的な発掘を行い、ペルシャの王ダレイオス1世(在位紀元前522~紀元前486年)が建てた宮殿のアパダーナ(謁見の間)を見つけた。スーサは、ダレイオス1世が帝都に定め、後にアルタクセルクセス2世(在位紀元前404年~紀元前359年)によって再興された。

この発掘の30年後、ジェーンとマルセルは、ロフタスが見逃したものを発見した。発掘は1885年2月に始まり、1886年に終わった。ペルシャのシャー(王)であるナーセロッディーン(彼は最初、ジェーンが女性だとは信じなかった)からは、発掘で見つけたものの一部、特に金銀があればそれを渡すことと引き換えに、発掘の承認を得た。

射手のフリーズ(細部)。紀元前6世紀、彩釉レンガで作られた。イラン西部のスーサにあるダレイオス1世の宮殿から出土した(H. LEWANDOWSKI/RMN-GRAND PALAIS)
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晩年の2人
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