日経ナショナル ジオグラフィック社

11世紀のペルシャのワズィール(宰相)がフィダーイーに殺害される様子を描いた中世の絵画。フィダーイーは、ニザール派の敵にピンポイントで攻撃をしかけた(PHOTOGRAPH BY CPA MEDIA PTE LTD, ALAMY)

歴史家は、ニザール派がゲリラ戦術を行使する理由を理解しない西洋人たちが、彼らは「ハシシ」のような麻薬を盛られて行動しているに違いないと決めつけたと考えている。というのも、他派のイスラム教徒がニザール派を、アラビア語で「ハシシの常用者」を意味する「ハシシン(Hashishin)」と蔑んで呼んでいたからだ。

このことが十字軍に伝わると、「ハシシン」は西洋的な発音の「アサシン」へと変化した。誤った認識から生まれたこの言葉は最終的に、現代英語において「暗殺者=お金で殺人を請け負う者」を意味するようになったというわけだ。

マルコ・ポーロに代表される旅行者たちも、暗殺教団をめぐる不気味な伝説を広めるうえで一役買った。彼らが伝えた話の中には、フィダーイーは「山の老人」の虜(とりこ)にされていたというものがある。ハッサンの後継者である山の老人は、薬を使って若者たちを酩酊(めいてい)させたうえで、城塞の中に自らが作った退廃的な楽園へ連れて行くとの約束で誘い込み、戦いに向かわせると噂されたのだという。

「恐怖、敵がい心、無知、空想に根ざしたイスマイル派についての神話は、数え切れないほどの世代の人々の想像をかきたててきた」と、歴史家のファルハード・ダフタリー氏は記している。

ところで、ニザール・イスマイル派の国は166年間続いた。しかし、1219年にイスラム世界の征服を開始したモンゴルの攻勢には耐えきれず、次々に要塞を失っていった。やがてすべての拠点を失うと、生き残ったニザール派の人々は散り散りになって逃げていった。

自分たちの国が崩壊してから数百年がたった今も、ニザール派は存続している。今日、イスマイル派の信徒は世界25カ国以上に約1500万人が存在し、同派はシーア派の中で2番目に大きな分派となっている。そして、イスマイル派の大半がニザール派であり、シャー・カリム・アル・フサイニー氏を「アーガー・ハーン」として戴いている。アーガー・ハーンというのは、19世紀以降、ニザール派の指導者を表すものとして使われてきた称号だ。

暗殺の時代がはるか昔に過ぎ去っても、ニザール派にまつわる不道徳かつ不正確な伝説は、現代の大衆文化の中で生き続けている。ビデオゲーム『アサシンクリード』は、史上最も人気を博したゲームシリーズの一つだが、ゲームの中で描かれている秘密主義でセンセーショナルなアサシンの姿を裏付ける事実は、実際には存在しない。

マルコ・ポーロのようなヨーロッパからの旅行者たちは、ニザール・イスマイル派をめぐる架空の物語を広めた。その中にはたとえば、「山の老人」と呼ばれる人物が、若者に薬を盛って殺人者に仕立て上げていたという話もある。この15世紀の細密画には、信徒たちを迎える山の老人が描かれている(PHOTOGRAPH BY UNIVERSAL HISTORY ARCHIVE, GETTY)

(文 ERIN BLAKEMORE、訳 北村京子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2020年12月31日付]

注目記事