フランス料理の葛藤超え天職に 子どもには2歳で包丁家政婦・料理人 タサン志麻さん

家政婦を通じて本当にやりたい仕事に出合えたというタサン志麻さん
家政婦を通じて本当にやりたい仕事に出合えたというタサン志麻さん

「伝説の家政婦・料理人」としてテレビや雑誌に引っ張りだこのタサン志麻さん。だが料理の道に進んでからの17年間は目指すキャリアが見つからず「ずっと苦しかった」と振り返る。家政婦を通じて本当にやりたい仕事に出合えた今、2人の息子たちにも「自分の好きな道を見つけてほしい」という。

「好き」を追い求めて

高校生の時、坂本龍馬のために手作りのバレンタインチョコレートを作りました。でもどこに送ればよいのか分からない。坂本龍馬記念館に電話すると「龍馬さんは京都霊山護国神社にいらっしゃるからそこに送ったらどうですか」と言われ、手紙を添えて送りました。母は私がチョコレートを作る姿を見て、男子にあげると思っていたようです。でも後日、神社から「龍馬さんにお供えしておきました。龍馬さんも新しいもの好きだからきっと喜んでいると思いますよ」という内容のはがきがポストに届き、母は知ったのです。白い目で見られましたね。

マイケル・ジャクソンも大好きでした。彼が亡くなったときは、あまりのショックに調理場で倒れ、病院に運ばれたほどです。ショック性の胃けいれんだったようで、医師から「何かありましたか?」と聞かれ「マイケルが死んじゃった」と話したのを覚えています。仏壇を買い、1年間は毎日手を合わせて泣いていました。昔から「好きなことには一生懸命」なのです。

看護師だった母は帰宅すると、疲れているのにギョーザの皮から作ってしまうような人です。いつも楽しそうに料理をしている姿が印象に残っています。姉と私にも小さい頃から手伝いをさせてくれて、小学校に上がる頃には2人で昼ご飯くらい準備できるようになっていました。友達と一緒にお菓子を作るなど、私にとって料理は遊びの一部でした。

高校は進学校でしたが、自分は大学で何をするのか目標が見えず、好きなことをやろうと大阪の辻調理師専門学校に進学しました。和食の料理人になるつもりでした。

料理学校に通っていた頃のノート(本人提供)

山口の田舎育ちで、フレンチなんて食べたこともありません。でも学校でフランス料理と出合い、すぐに魅了されました。なにを食べてもおいしいし、歴史があって地方性もあって、勉強すればするほど面白くなっていったのです。それからはフランスの文学、音楽、絵画など、どっぷりフランス漬けの生活です。そんな生活が35歳まで続きました。

19歳でフランスに留学し、20歳で帰国してからは就職するまで4カ月もかかりました。こういう性格だし料理の世界は厳しいので、自分が働きたいと心から思える店でないと続かないと分かっていたのです。友達の家に居候してアルバイトしながらいろいろな店を食べ歩きました。あるとき、知り合いから紹介された店でシェフと面談し、料理を食べさせてもらった瞬間、ビビッときました。最初「女は雇わない」と断られましたが、どうしてもここで働きたいと説得し、働かせてもらうことになりました。週6日、早朝から深夜まで働いて、2時間勉強して3時間寝る、という生活が始まりました。週1日の休みは朝からフランス映画を見てフランス語を習って、フランス文学を読んで過ごします。生活費以外の給料は全て学ぶことに費やしていたのでお金はたまりません。

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もうフランス料理は作れない